「これで終わりかな」
引退の2文字が頭に浮かんだ。緊急事態宣言の影響もあり、自然とプールから足が遠のいた。当時の自己ベストは2分9秒台。競技を続けたい気持ちと同時に、「ここから本気でやったとして、戦えるのかなという不安もあった」。
もんもんとした気持ちを抱えつつ、両親に今後の相談をすると、「五輪は小さいころからの夢だったんだから諦めないで。あと1年頑張ったら?」と背中を押された。師事する藤森善弘コーチからは、「アルバイトをしながらでもいいから、もう少し続けないか?」と声をかけられた。
水泳のない生活に飽きも感じていた。昨年5月ごろから自宅でできるトレーニングなどを始め、緊急事態宣言解除後にプールに戻った。約2カ月ぶりに味わった心地よい水の感覚が、最後の後押しになったのかもしれない。「とりあえず、あと1年やろう。どうせやるなら無駄な1年にはしたくない。本気でやろう」と腹をくくった。
しかし、いざ練習を再開すると想像以上に出費がかさんだ。貯金だけでは賄いきれず、スイミングスクールのインストラクターや梱包(こんぽう)作業、電話営業といったアルバイトを掛け持ちした。その傍ら、スポンサー探しにも着手。スポーツ支援に手厚い企業や地元・鳥取県の会社など、手あたり次第メールを送って自身を売り込んだ。その数は50社を優に超える。だが、コロナ禍で厳しいのは企業も同じ。受け入れ先は見つからなかった。