【今日も一緒にプロレスを楽しみましょう!】三沢光晴さんが生きていたら…プロレス界はどうなっていたか レスラーが第二の人生を安心して送れる様々なアイデア - イザ!

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三沢光晴さんが生きていたら…プロレス界はどうなっていたか レスラーが第二の人生を安心して送れる様々なアイデア

三沢さんはリング内外で王者としてプロレス界を引っ張っていた
三沢さんはリング内外で王者としてプロレス界を引っ張っていた

 現役引退を頭に入れながら、リングで倒れた三沢光晴さん。十三回忌(6月13日)が過ぎても、各方面から惜しむ声が止まらない。三沢さんが生きていたら、プロレス界はどうなっていたのか?

 生前「大相撲はどうして盤石なのかな。どういうシステムなんだろう」と、聞かれたことがある。各部屋が相撲協会の傘下の元、一つの土俵でぶつかり合う。年6回の本場所に巡業。関取になれば現役引退後に路頭に迷う者は少ない。

 かたや、プロレス界はコミッショナーも存在せず、選手は第二の人生を考えると心配事ばかり。ケガをしたときの補償態勢も脆弱だ。実際、苦労している先輩も多々いる。大相撲のようにはいかなくても、プロレス界も各団体が基金を出し合い何らかの組織ができないものか。何度か気運は高まるのだが、これまではなかなか難しかった。

 三沢さんは現役時代よりも長いプロレスラーの引退後を考えていた。右腕だった故・仲田龍リングアナウンサーと「ノアビル(仮称)」の建設を熱く語り合っていた。三沢さん自身がバーテンを務めるバーに、元レスラーがトレーナーとして活躍するスポーツジム、ちゃんこの腕を披露する飲食店などが入った複合ビル。引退後のレスラーを雇用できる。第二の人生を安心して送れるように、様々なアイデアを考えていた。

 自身も一年以内に引退し、自ら先頭に立ってレールを敷くプランを思い描いていたのに、志半ばで逝ってしまった。思えば野球など他のスポーツ選手、芸人など異業種の人たちと積極的に交流していたのは、ビジネス面でのプロレス革命を思い描いていたからかもしれない。

 若いころから一筋だった。先輩のカメラマンから「明日、昼過ぎには会場入りするから」と、何やら意味ありげに微笑まれた。地方サーキットのある日。昼過ぎにはリングは出来上がっている。他の選手はホテルでお昼寝中だろう。ほんの数名の関係者がのんびりしている体育館に三沢さんが現れた。まだ二代目タイガーマスクに変身する前の話だ。

 「新技を試したいので、写真を撮ってほしい」ということだった。当時はスマホでの動画撮影どころか、デジカメでもなく、フィルムのカメラ。その場での画像チェックなど夢の話。さっそうと新技を繰り返す三沢さんを、粛々と撮影するカメラマンを、記者は黙々と見ていた。翌日、焼き付けた連続写真を手にした三沢さんは満足げにうなずき、早速、試合で使っていた。

 若き頃からプロレスを、レスラーを愛してやまなかった三沢光晴さん。天国から星の窓を開けて令和のプロレス界を見守っていてください。 (プロレス解説者・柴田惣一)

zakzak

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