【ダンディーの極み ゲンスブールという男】時代が早すぎた…ローマ法王を激怒させた愛の歌 - イザ!

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ダンディーの極み ゲンスブールという男

時代が早すぎた…ローマ法王を激怒させた愛の歌

 1958年、『リラの門の切符切り』で歌手デビューしたセルジュ・ゲンスブール。

 代表作『ラ・ジャヴァネーズ』は62年に自身が作詞・作曲したシャンソンだが、当時、親しかった女優で歌手のジュリエット・グレコ(27~2020年)にささげたものだ。

 サンジェルマン・デ・プレのミューズと呼ばれた1歳年上のジュリエット・グレコ。彼女の家のグランドピアノであふれ出る想像力と情熱で、たった一晩で作り上げた曲であり、『ラ・ジャヴァネーズ』は後に多くの歌手に歌われ、トム・ハンクス主演『ダ・ヴィンチ・コード』(06年)やギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』(17年)などでも使用された。

 フランス・ギャルが歌った『夢見るシャンソン人形』は世界的な大ヒットとなり、日本語でも歌われた。1968年、フランソワーズ・アルディに提供したボサノバ調の『さよならを教えて』は今も歌い続けられている。

 かつてセルジュは「歌がよくても、顔が悪くてはダメ」とこぼしていたが、とんでもない、歌が素晴らしければ顔などまったく関係なかった。

 あまりにスキャンダルといわれた『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は、ブリジット・バルドーとの恋仲で誕生した曲だが、バルドーの夫の反対にあい、発売されることはなかった。時代が早すぎたのだ。

 69年にパートナーであるジェーン・バーキンとのデュエットでリリースされるが、その過激な内容は、時のローマ法王が激怒し、ヨーロッパのほとんどの国で放送禁止になったほどだ。

 79年、フランス国歌『ラ・マルセイエーズ』をレゲエにアレンジした『祖国の子供たちへ』をリリース。その翌年、けんかの絶えなかったバーキンはセルジュの元を去った。

 しかし2人の音楽的関係は継続する。バーキンとの間に生まれた娘、シャルロットとセルジュのデュエット『レモン・インセスト』のベースはショパンの『別れの曲』(84年)。子供の頃、父から教育されたクラシック音楽はきちんと受け継がれている。

 さらに86年にはシャルロットのアルバム『魅少女シャルロット』をプロデュースしている。 (小張アキコ)

 ■セルジュ・ゲンスブール 1928年4月2日~91年3月2日。享年62。死後はジャン=ポール・サルトル、シャルル・ボードレールなどの著名人が数多く眠るモンパルナス墓地に葬られた。今も墓碑を訪れる人が絶えない。

zakzak


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