【定年後の居場所】直接、人と会って話す大切さ 自分をオープンにするレベルが違う - イザ!

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定年後の居場所

直接、人と会って話す大切さ 自分をオープンにするレベルが違う

 先日、日本経済新聞を読んでいると、大河ドラマの主人公である渋沢栄一のことが書かれていた。彼は若い頃、今の財務省にあたる組織に勤めていた。ある日突然、明治政府の重鎮である木戸孝允の訪問を受ける。同僚の1人について評判を聞きたいという理由だったが、本当の目的は渋沢本人を人物鑑定するためであり、ほどなく渋沢は要職に取り立てられた。

 仏文学者の鹿島茂氏が評伝「渋沢栄一」で紹介しているエピソードだそうだ。木戸を筆頭に明治の人たちは人材の採用や登用にあたり、なにかと口実をつくり、直接その人の家を訪問することが多かったという。

 この記事を読んで、確かにそうだと思わず膝を打った。半年ぶりに上京して、やはり直接、人と会わないといけないと実感したからだ。

 5月最後の3日間を東京で過ごした。初日は早稲田大学が主催する「人生100年時代におけるライフデザイン」というテーマの基調講演とパネルディスカッションに登壇した。コロナ禍のためにオンラインで行われた。400人以上の申し込みがあったそうだが、会場で面と向かっていないため相手の反応は私には分からない。ただ最近は大学の授業や仕事の打ち合わせもZoomで行うので、それほど違和感なく話すことができた。

 2日目は、会社員当時の先輩と有楽町で話し込んだ。30年以上いろいろと相談にのってきてもらったが、ここ2年近くは会っていなかった。親の介護のこと、本の執筆のこと、高齢者の仲間入りをしてどのような生活を送るかなどなど。お互いに話は尽きなくて3時間半におよぶランチになった。自分の本音を吐露して相手からのアドバイスに耳を傾けていると、久方ぶりに深いカタルシスを感じた。講演で話す時に比べると自分自身をオープンにするレベルが全く違ったのである。

 また翌日の編集者との打ち合わせでも同様なことを感じた。新たな本の企画について2人の編集者と立て続けに会った。本のテーマや構成立てについてやり取りしていた時に、今までしばらく忘れていた自分を表現する感覚が蘇ってきた。

 講演のように自分の考えを客観化して、1度に多くの人に伝える場合にはリモートでも何とか大丈夫である。しかし今後どう生きるか、自らの主張を書籍にどのように打ち出すかについては対面でのキャッチボールが不可欠だと痛感した。対話の中では相手の反応を見ながら当事者として主体的に語ることが求められるからだ。相手と同じ空間や同じ時間を共有しなければ見解を伝えきれないのである。

 冒頭の記事に戻ると、渋沢自身も人と会うのをいとわなかったという。子息の手記によれば、紹介者は一切不要。実業家や社会活動家の相談だけでなく、身の上話や「とっぴな提案」を語る人が自宅を訪れた。初対面でも信じるに足ると感じればすぐに支援の行動を起こしたという。「明治の日本の強さはこんなところにもあった」というのが鹿島氏の見立てだそうだ。直接、人に会って話すことを軽く見てはいけない。

 ■楠木新(くすのき・あらた) 1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。50歳から勤務と並行して取材、執筆に取り組む。2015年3月、定年退職。現在、神戸松蔭女子学院大学教授。人事・キャリアコンサルタント。25万部を超えるベストセラーになった『定年後』(中公新書)など著書多数。20年1月に『定年後のお金』(中公新書)を出版。

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