【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】聖子は100点だが、明菜は120点 音楽業界のカリスマ・稲垣博司氏が振り返る、80年代前半の歌謡界 - イザ!

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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡

聖子は100点だが、明菜は120点 音楽業界のカリスマ・稲垣博司氏が振り返る、80年代前半の歌謡界

中森明菜
中森明菜

 1980年代前半の歌謡界は松田聖子が席巻していた。

 80年に山口百恵が引退したことで、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテイメント)は「ポスト百恵」探しが急務だった。そこに彗星(すいせい)のごとく現れたのが聖子だった。

 当時、同社の常務取締役でオーディションを指揮しその後、ワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長も務めた稲垣博司(現ミラクルバス主任研究員)は振り返る。

 「社内では、他の新人でとの声もあったのですが、私は彼女のボーカル、音色にひかれたんです。というのも彼女自身の声はあまり大きくなかったのですが、歌の音圧はすごかった。彼女のボーカルには勢いを感じましたね。で、可能性を信じて合格させたんです」

 稲垣の思惑は見事に当たった。

 「とにかく作品に恵まれた。言葉の使い方も素晴らしかったし、曲もコード進行が斬新だった。小田裕一郎さんもいい作品を書いていましたからね。彼女は福岡の平尾音楽学校の出身だったので、本来なら平尾(昌晃)先生に書いてもらうのが筋ですが、スタッフからシンガー・ソングライターを起用すべきだとの意見が出たんです。その方向で楽曲制作をしたわけですが、当時としては斬新でした。そう考えると中森明菜さんも似たところがあったのだと思いますね」

 その稲垣が、明菜を意識し始めたのは『少女A』からだったが、『北ウイング』『サザン・ウインド』、そして『十戒』という作品の流れに聖子との違いを強く感じるようになった。

 「もちろん作品のクオリティーは聖子も明菜も別格でしたね。ただ、あの作品を歌えるシンガーとしてみると、聖子は100点でしたが、明菜はそれ以上…、120点でした。とにかく彼女のボーカルは突き抜けていました。その突き抜けた分は素晴らしいことでしょうが、実はその反動があって、歌うことで精神的な不安定さのようなものが出てきたように思います。つまり、彼女のメンタルな部分で犠牲になっているところが多分にあったのではないかと…」

 その一方で「歌い方においては聖子に比べたら明菜さんのほうがダントツですよ。何といってもすごみがありました。ところが聖子のインパクトが強かったのは、やはりレコード会社のマーケティングの差だと思います。売り方ではソニーのほうがうまかったように思います」。

 とは言いつつも、素材としての明菜を高く評価する。

 「彼女にはどこか中島みゆきに近いものを感じていました。適切ではないのかもしれませんが、巫女(みこ)さんというか、母性のシンボルのような…。ですから、できるだけ神秘性を増すような売り方があったように思いますね。あるいは『北ウイング』や『サザン・ウインド』ぐらいから、もっとドラマに出せばよかったかもしれませんね。それが明菜さんの深みになっていったとも思います。すべての楽曲を聴き直したわけではありませんが、聖子に比べたらインパクトのある、いい作品が多かったと思いますよ。最近、明菜さんの楽曲が聴き直されていると言いますよね。しかも、聖子より明菜さんのほうが好きという人もたくさんいるようですから…。とにかく、ここ10年を振り返っても、聖子はいっぱいいっぱいというか、パワーを使い切ってしまった感じがしますが、明菜さんは結果的に表舞台に出てきていませんからね、まだまだパワーが残っているということですよ。どこか百恵さんにも共通したところも感じます。あくまで個人的な希望ですが、ぜひ復活してほしいですよね」

 聖子が「明」なら、明菜は「暗」だという声もある。その聖子と明菜が80年代を象徴するアイドルとなったのが84年だった--。 =敬称略 (芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、55歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE-情熱-』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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