【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】「サザン・ウインド」から新たなスタイルを確立 最先端を求めスタッフと乖離(1/2ページ) - イザ!

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歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡

「サザン・ウインド」から新たなスタイルを確立 最先端を求めスタッフと乖離

新たな明菜像をつくった『サザン・ウインド』
新たな明菜像をつくった『サザン・ウインド』

デビュー3年目を迎えた1984年。中森明菜は『北ウイング』(1月1日発売)で幕を開け、その4カ月後には『サザン・ウインド』を発売した。

明菜のプロモート担当だったワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の田中良明(現在は「沢里裕二」として作家活動中)は、当時について「バブルの夜明けといった感じの時代。都内の飲食店もそんなイメージを漂わせていました」と前置きした上で振り返った。

「デビュー3年目の直前に発売(4月11日)された『サザン・ウインド』は、作詞が来生えつこ、作曲が『ワインレッドの心』で注目されていた安全地帯の玉置浩二という、ある意味で斬新というか、異色のコンビによる作品でした。これが瀬尾一三のアレンジで時代に融合した楽曲として仕上がったと言っていいでしょう。言い換えるならバブル期に流行した“メロウミュージック”というジャンルでした。つまり、豊潤で気だるい避暑地的な香りの漂う音楽。いずれにしても、新しい明菜のスタイルが確立していったと思っています。というのも、この時期から明菜のファッションセンスがどんどん、とがり始めたのです。徐々にですが、われわれのような旧世代的アイドル感の捨てきれないスタッフとの間に溝が生まれてきたのです。思い返せば、その前から兆候のようなものはあったようには思いますが…」

さらに松田聖子と比較しながら語る。

「当時、何かと比較されたのが聖子さんでしたが、聖子さんが大衆のアイドル像をそのまま体現し続けていたのに対して、明菜は真逆に行くように、それこそ先端を求めていたといえます。ところが、それはあくまでも感性というか、感覚なんです。彼女の場合は論理的に語るわけではないので、どうしてもスタッフとは乖離(かいり)した部分ばかりが目立つようになってきたのです」

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