【ぴいぷる】歌手・秋元順子 人生動かしたコンプレックスの「男の子みたい」な声 58歳でメジャーデビュー、73歳は新たなステージへ - イザ!

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歌手・秋元順子 人生動かしたコンプレックスの「男の子みたい」な声 58歳でメジャーデビュー、73歳は新たなステージへ

 まさに大器晩成というべきだろう。会社員として働きながら歌手活動を始めると、2005年に58歳でメジャーデビュー。08年には女性歌手としては最年長初出場としてNHK紅白歌合戦にも名を連ねた。

 そんな彼女、このコロナ禍も立ち止まらない。新シングル『いちばん素敵な港町』は、題名通り港町を舞台に大人のラブストーリーを描いたバラードだ。

 歌詞には、横浜を連想する「大さん橋」という言葉が登場するが、「イメージを横浜に限らないでほしいんです。大さん橋があるすべての港が、聞き手にとって『いちばん素敵な港町』。外国でもいいんです」。

 今、一番しっくりする歌詞は、「命に限りあるとしてもさ 生きていこうね」というフレーズだという。人生の酸いも甘いもかみしめてきたからこそ、たどり着いた境地だ。

 「若い人は、長く港町で人生を送ってきた人の歌と思うかもしれないけど、きっとご両親はこの思いに共感するはず。いずれはご自身もこの年代になります。ですから、お若い方にも聞いていただきたいですね」

 “セカンドライフ”ともいえる年齢でのデビューだが、幼いころから歌は好きだった。今では魅力的な太い声も、実はコンプレックスだったというから驚きだ。

 「産声を上げたときに『男の子かと思った』と親に言われたほどです。でも、それが子供心にショックで、小学校では教科書読むのも怖かった。小学3年生の時、先生に『月の砂漠』を歌ってといわれて。もじもじしたけど、歌ったのね。そしたら、今まで『男の子みたいな声だよね』といっていた同級生からも拍手が上がって。先生も『順子ちゃんの声はいい声!』って。その瞬間、考え方が180度変わりました」

 歌は好きだったが、あくまでもアマチュアだった。高校を卒業後、就職した会社に同好会のハワイアンバンドがあった。そこに参加したことから少しずつ人生が動いていく。

 「バンドでは、ジャズもシャンソンもラテンもやって、アフター5にはコーチも来てくれて、民謡をジャズアレンジしてくれた。だから、いろんなジャンルのスタートがハワイアンバンドです」

 メジャーデビューのきっかけは、04年にインディーズでCDリリースした『マディソン郡の恋』だ。それまでライブでは歌っていたが、CD化は意識していなかった。なのに、なぜCDを作ったのか。

 「ホテルのラウンジで歌っていたとき、一番前のテーブルに外国人の夫婦が座っていました。外国の曲ばかり歌っていたんですが、ステージの後、老夫婦から『私たちはヨーロッパから来た。これが最後の旅だ。声とフレーズで感動した』と声をかけられたんです。そして『CDを持っていないか』といわれたのに、渡せるものがなかったんです。CDは作っておくべきだと思いましたね」

 それがメジャーデビューまでつながるのだから人生は分からない。さまざまな経験や出会いを積み重ねて、今がある。だからこそ、デビュー前から「出会いを大切に」という言葉を大切にしている。

 「これまでも、出会いを大切にしていると、その出会いがふくらんでいくことを経験したわけです。ずっと変わらず『出会いを大切に』です」

 30日には、バースデーコンサートを控えている。コロナ禍で歌う機会も制限されていただけに観客の前に立つステージに思いも募る。まさにステージは出会いの場だ。

 「ネット配信もいいけれど、私たちの世代は『生の歌を聞きたい』という方が多いんですよ。昨年は30人限定のライブをしましたが、お客さまからは本当に『生き返りました』という言葉をいただきました。必ず歌える日が来ると思っていたので、発声練習と健康維持は続けています。それと、余った時間には今までできなかった家の片づけもね」

 心の準備は万端だ。(ペン/内藤怜央 カメラ/松本健吾)

 ■秋元順子(あきもと・じゅんこ) 歌手。1947年6月21日生まれ、73歳。東京都出身。高校卒業後、就職した石油会社で、同好会のハワイアンバンドに参加し、歌手活動を開始。2004年に『マディソン郡の恋』をインディーズで発売すると、有線問い合わせランキング連続1位と話題を呼び、同作で05年にメジャーデビュー。08年に発売したメジャー3作目『愛のままで…』は、オリコンシングルチャートで最年長1位を獲得。同年と翌年、2年連続でNHK紅白歌合戦に出場した。6月23日には、昭和の名曲を取り上げたカバーアルバム『昭和ロマネスク』を発売予定。

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