1992年バルセロナ五輪の柔道男子71キロ級金メダリスト、古賀稔彦(こが・としひこ)さんが24日、川崎市高津区の自宅でがんのため死去した。マネジメント会社が発表した。53歳の若さだった。佐賀県出身。葬儀・告別式は29日に営まれるが、時間や場所は非公表。複数の関係者によると、古賀さんはがんのため昨年3月に腎臓の片方を摘出した。芸術的な一本背負いで「平成の三四郎」の異名を取った柔道家が、7月23日の東京五輪開幕を前に力尽きた。
相手を高々と担ぐ芸術的な一本背負いで多くの柔道家から尊敬された「平成の三四郎」が、53歳の若さで旅立った。岡山・環太平洋大柔道部の総監督を務めるなど後進の指導に力を入れ、年間100回近い講演で全国を飛び回っていた古賀さん。体に異変を感じたのは昨年だった。
複数の関係者によると昨年3月、がんのため腎臓を片方摘出。見た目にもやせていた。それでもその後は以前と変わらない量の仕事をこなしていたという。昨秋の講道館杯全日本体重別選手権(千葉ポートアリーナ)では現場を訪れ、「まあまあ元気」などと笑顔を見せていた。
ところが、今年2月中旬ごろ、腹水がたまるなど再び体調が悪化。「ちょっと療養するわ」と自宅療養に入ったという。マネジメント会社の関係者は「それまで忙しかったので疲労がたまっていると思い、しばらく休んだ方がいいと話した」。その後も電話やメールで連絡を取っていたが、「普通に話していた。やせてはいたが、知らない人が見たら減量しているのかと思う程度だった」。容体急変に唇をかんだ。