東義孝(防衛省 元防衛研究所主任研究官)
※オピニオンサイト「iRONNA」に掲載された論考の再掲です。肩書などは当時のものです。
2014年にクリミア半島の帰属を巡ってロシアとウクライナ間で起こった「ウクライナ危機」を受けて、米国を含む北大西洋条約機構(NATO)に加盟する国々は、16年のワルシャワサミットでバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)およびポーランドへの部隊配備を決定した。
ただ、この原因となったウクライナ危機を引き起こしたのは、当時のバラク・オバマ政権が(冷戦時代のような)ロシアの勢力圏的発想を認めず、ロシアの立場や行動を理解していなかったゆえの結果である。
さらにその無理解によりバルト三国への部隊配備自体もNATOとロシアの関係をセキュリティージレンマに陥れるという二重の悲劇が生じたのである。
ここではNATOの東方拡大とロシアの動きを中心に分析し、国際政治学における、自助行為としての防衛に主眼をおくディフェンシブリアリズム(防御的現実主義)の立場から米国を中心とするNATO諸国がなぜウクライナ危機や安全保障のジレンマ(セキュリティージレンマ)を招いたのかを明らかにする。
なお、この中で示す軍事力の分析手法としては、米国の政治学者であるジョン・ミアシャイマーが、国家の実質的パワーを構成する陸軍力指数の計算方法として推奨する機甲師団等価(Amour Division Equivalent:ADE)を基本とする。そしてランド研究所(米シンクタンク)の訓練レベルや補給レベルのモデルを踏まえて実質化した、陸軍力指数を用いて評価している。
このADEを簡単に説明すれば、師団などに編成された部隊が「組織的軍事力としてどの程度か」を米国の機甲師団を尺度として評価する手法だ。基本的には、ミリタリーバランスにおける各国の戦車、火砲、装甲車などの保有数と各兵器の能力の点数を合計して算出している陸軍力の目安程度の指数である。
空軍力指数では、拙稿「空軍軍事バランスの変化の動向とわが国の安全保障政策」、国際安全保障(10年6月)の評価方法に改良を加えて数量評価したものを用いる。空軍力指数も大ざっぱに言えばADEと似たような算出方法ではあるが、その妥当性はいくつかの空戦史で検証済みである。
このような軍事力の数量評価を通してウクライナ侵攻前後のパワーバランスや米国の政策とロシアの行動を説明し、ロシアのような国には、パワーバランスを踏まえたネオリアリズム的な視点で臨む必要があることを論じたい。
歴史的に見ると、04年、当時のジョージ・W・ブッシュ政権はバルト三国を含むNATOの東方拡大に乗り出した。共和党政権ではリアリズムに基づく外交政策がとられることが多い。
その中でブッシュ政権の外交政策は、新保守主義という自由主義や民主主義を重視して武力行使も辞さない思想を基調としている。それゆえロシアの反発を受け流しつつ、東欧の民主的な国々をNATOの中に取り込んでいった。
しかし、ロシアにとってそれら周辺諸国は自身の勢力圏に属するのであり、米国を中心とするNATO諸国がウクライナのNATO加盟に向けた取り組み、民主化の促進は米国による攻撃的な政策と受け止められた。
軍事的観点で見れば、2000年時点では、ロシア陸軍全体の陸軍力指数222に対し、ポーランドの陸軍力指数は172と、広大なロシア全体に配備されたロシア陸軍の8割近くあった。さらにポーランドとチェコ、ハンガリーと、NATOへの新加盟国の合計指数ではロシアに勝る陸軍力を有していた。
図1の05年の陸軍力指数を見ると、東欧諸国が加盟したばかりの欧州各国軍および在欧米陸軍をあわせたNATOの陸軍力指数の総合計はおおよそ3308で、ロシアの10倍以上である。
だが、10年になると、08年のリーマンショックの影響を受けて各国が緊縮財政に転じ、特にヨーロッパのNATO加盟国において防衛費が急速に削減され始めた。10年時点のNATO加盟国の陸軍力指数は2711であった一方で、ロシアの陸軍力指数は420であった。
避けるべきだった対立
15年には陸軍力指数が3分の1になったドイツをはじめ、ヨーロッパ各国で大幅に陸軍が削減されている。それにより独仏伊の3国の陸軍力指数は、ロシアの西部軍管区、南部軍管区の合計と同程度となっている。
特筆すべきは、ロシアと国境を接しているバルト三国のうちラトビアとリトアニア、そしてウクライナも兵力を大幅に削減していることである。
一方、NATO加盟国のエストニアとポーランドは陸軍力指数をほぼ維持しており、ラトビアとリトアニアとは対照的である。
ちなみに15年における欧州各国のNATO軍の陸軍力指数総合計は、およそ1965であり、ロシアの陸軍力指数は442であった。さらに図2のようにNATO空軍の優位も当時拡大しており、NATO軍と通常兵力による全面戦争になれば、ロシアが敗北することに変わりはなかった。
なお、14年のクリミア併合に始まるウクライナ危機は、基本的に短期的軍事問題であり 、国際的なパワーの分布や構造の観点で見ると、軍事力が国家のパワー要素の大きな部分を占めていたと考えられるので、そのような前提で議論する。