渋沢栄一の「士魂商才」儲け第一主義の日本が忘れた箴言 - イザ!

メインコンテンツ

渋沢栄一の「士魂商才」儲け第一主義の日本が忘れた箴言

※オピニオンサイト「iRONNA」に掲載された論考です。肩書などは当時のものです。

岩田温(政治学者)

受験勉強の弊害について批判されることが多いが、私は受験勉強には一定の意味があると考えている。若いうちに数学の問題を解いて論理的思考を養うことや、世界史や日本史の暗記によって記憶力を鍛えることには意味があると考えるからだ。将来、学力がそのままの形で活(い)きることは少ないかもしれないが、知性を鍛えておくことは無駄にはならない。

そうは思いながらも、やはり受験勉強には弊害もあるというのが事実である。思想家の思想を極端に単純化し、有名な一節を諳(そら)んじるだけで思想家の全てを理解したと思い込む弊があるように思えるのだ。

誤解の最たるものは福澤諭吉の言葉だろう。『学問のすすめ』は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」との言葉から始まることは余りに有名だ。この一節を覚えただけで、福澤諭吉は単純な平等論者であったと結論付ける人たちが結構存在するのである。だが、福澤は『学問のすすめ』で単純に平等を説いたのではない。元来、平等に生まれた人間の中で差が生じるのは、畢竟(ひっきょう)、学問の差であり、それゆえに学問を為さねばならぬと説いたのだ。

これほど極端な誤解はされていないが、思想家の思想の一部分だけが切り取られて理解されていることは多い。例えば、アダム・スミスと聞けば、主著は『国富論』であり、その思想内容は「神の見えざる手」によって、市場経済の万能性を説いたかのように思い込んでいる人も多いのではないだろうか。それぞれが我欲を追求しても、結果的には神が調和をもたらしてくれる。したがって、公益の追求ではなく、我欲を求めていればよいと説いた人物だと勘違いしている人も多いのではないか。

確かにアダム・スミスは『国富論』の著者であり、市場経済の重要性を説いた思想家である。しかし、同時にスミスは『道徳感情論』の著者であり、人間における道徳を深く考究した思想家でもあったのだ。

人間の多くが富裕な人々、有力な人々に感嘆し、崇拝する一方で、貧しく、力のない人々を軽蔑したり、無視したりする性向があることをアダム・スミスは指摘する。こうした人間の性向は身分の区別や社会秩序を確立することに必要であることを認めつつも、彼は、これらの性向が「われわれの道徳諸感情の腐敗の、大きな、そしてもっとも普遍的な、原因である」とも述べている。

市場経済の擁護者といえば、「儲ければ勝ち」といった俗悪な拝金主義者であったかのように思われがちだが、アダム・スミスは人間における道徳の重要性を説いた思想家でもあった。

市場経済の擁護者が道徳の研究者でもあったという事実は極めて興味深いが、わが国でも商業と道徳との両立を説いた資本家が存在した。渋沢栄一である。彼は名著『論語と算盤』において、何度も「論語」すなわち、「道徳」と「算盤」すなわち「商業」を両立させる重要性を説いている。

和魂洋才ではなく「士魂商才」

例えば、渋沢は「士魂商才」との言葉を用いる。「和魂漢才」、「和魂洋才」といった言葉は、日本人として大和魂を維持しながら外国の優れた思想、技術を取り入れて活用する重要性を説いたものだ。これを真似て渋沢は「士魂商才」を説くのだ。

渋沢は次のように説く。


“人間の世の中に立つには、武士的精神の必要であることは無論であるが、しかし、武士的精神のみに偏して商才というものがなければ、経済の上から自滅を招くようになる。ゆえに士魂にして商才がなければならぬ。”出典:論語と算盤(角川ソフィア文庫)


渋沢は自分自身が大蔵省を辞し、民間人として商人として生きることを選択した際、多くの人々に「賤しむべき金銭に眼(まなこ)が眩み、官を去って商人になるとは実に呆れる」と批判された。だが、渋沢はこれらの批判を意に介することはなかった。明治日本において改めるべき点は多々あるが、商売が振るわないようでは日本の将来はありえないと信じていたからであり、商業そのものを卑しめる思想から脱却せねばならぬと考えていたからでもある。

儲かれば何をしても構わないという強奪、詐欺のような商売は、長続きしない。「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものでない」との信念があったのだ。それゆえに、渋沢は「論語の教訓に従って商売し、利殖を図ることができる」と考えた。

また、「士魂商才」を説く渋沢は明治人の気概として、国家の行く末を考え続けた人物であったことも忘れてはならないだろう。商業こそが明治日本に必要だと考えた渋沢ではあるが、商人が国家の存在を閑却(かんきゃく)すべきではないと指摘しているのだ。


“如何に自ら苦心して築いた富にした所で、富はすなわち、自己一人(いちにん)の専有だと思うのは大いなる見当違いである。要するに、人はただ一人(ひとり)のみにては何事もなし得るものでない。国家社会の助けによって自らも利し、安全に生存するもできるので、もし国家社会がなかったならば、何人(なんぴと)たりとも満足にこの世に立つことは不可能であろう。”出典:同上


渋沢の哲学に従えば、国家なくして商人の成功はあり得ない。したがって、成功した商人ほど国家、国民に還元することを考えるべきであるということになる。それゆえに、渋沢は次のように続けている。


“富の度を増せば増すほど、社会の助力を受けている訳だから、この恩恵に酬ゆるに、救済事業をもってするがごときは、むしろ当然の義務で、できる限り社会のために助力しなければならぬ筈と思う。”出典:同上


近年、株主資本主義から公益資本主義への転換がさかんに主張されている。「論語」と「算盤」の両立を説いた渋沢の哲学が今こそ見直される時期ではあるまいか。

  1. みずほは「F」「D」「I」に3分裂か OBに根強い旧行意識
  2. 野田氏「夫を信じている」 週刊誌報めぐり
  3. 市から突然1300万円請求…なぜ? 年金生活の80代女性に 専門家「今後数年で同様の高額請求を受ける人は増える」
  4. 高市氏の記者会見場で報道関係者怒鳴り声
  5. 河野氏の年金改革案めぐりバトル勃発 「大増税」の可能性も…野田氏「保険料を払っている人があなたの発言で非常に不安になる」