【主張】建国記念の日 「国民を守る日本」であれ - イザ!

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主張

建国記念の日 「国民を守る日本」であれ

 苦難の中での、建国記念の日となった。

 新型コロナウイルスの収束はなお見通せない。そんなときだからこそむしろ、国の成り立ちに思いをはせ、国とは何なのか、改めて考えたい。

 この日、初代天皇である神武天皇が即位したとされる。明治初めに紀元節という祝日となった。長い歴史を持つ国に生きている幸せを、思わずにいられない。

 新編日本古典文学全集「古事記」の記述では、神武天皇と兄は「何地(いづく)に坐(いま)さば、平(たひら)けく天(あめ)の下の政(まつりごと)を聞こし看(め)さむ」と相談し、神武東征が始まった。国を穏やかにするためである。

 そうした国の子孫として、日本人は幕末の外圧にも、先の大戦の敗戦という国難にも耐え、豊かな国を築いてきた。誇りとすべき先人の歩みだろう。

 ただ、その後の日本が先人に恥じない国を造り得たかといえば、「いまだ至らず」と言わざるを得ない。新型コロナウイルスへの政府対応の鈍さを見ていると、特にその感が強かった。

 国のコロナ対策はこれまで、営業時間の短縮や外出自粛など「要請」が基本だった。諸外国のような爆発的な患者の急増に至っていないのは、国民の自主的な協力によるところが大きい。

 しかし全員が協力的であるわけではない。強制力がほとんどない日本のコロナ対策の不備は早くから指摘されていた。適切な強制力と、店舗などへの経済的な支援で国民を守るのが本筋だった。

 罰則を盛り込んだ特別措置法の改正を先送りし続けた政府の姿勢は極めて甘い。第3波の脅威が高まる中で改正法を成立させたのはごく最近のことだ。

 国家は国民を守るためにある。この基本的な認識が、現在の日本の政治には希薄なのではないか。戦争への反動からか、国家の力を警戒する声がいまだに根強い。

 特措法改正の議論でも私権の制限に対する否定的な意見があった。しかし国家は適切に力を行使しなければ国民を守れない。

 国の起源を思う日である2月11日ですら、戦後、祝日とすることには反対する声が強かった。この日が再び祝日と決まったのは昭和41年である。祝日法を改正する国会では怒号が飛び交った。

 国家の力をいたずらに警戒するのは戦後の誤った風潮である。国民を守れる国家でありたい。

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