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通算2000安打を達成した巨人・坂本勇人内野手(31)には、報告をしたい友がいた。青森・光星学院(現八戸学院光星)高時代の同級生で、同じ1988年12月14日生まれの柴田耕一郎さん(享年28)。悪性脳腫瘍で2017年5月9日に他界した球友の父・耕治さん(58)、母・三枝子さん(56)は大阪・吹田市内の自宅で偉業達成の瞬間を迎えた。(取材構成・谷川直之)
坂本の大台到達を吹田市の自宅で見届けた耕一郎さんの父・耕治さんは「『勇人、おめでとう』と言いたい。耕一郎も喜んでいるんちゃうかな」と感慨に浸った。耕一郎さんの遺影は、東京ドームに駆け付けた弟・憲二さんによって、背番号6に向けられていた。
耕一郎さんは、坂本と同じ1988年12月14日生まれ。関西から青森・光星学院高に野球留学した仲間で、2006年の選抜大会で、ともに甲子園の土を踏んだ。年末年始の帰省や巨人の遠征中に食事へ出かけるなど、卒業後も交流が続いた。
ところが、運命の歯車は突然狂い出す。プロ1年目の07年9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)で坂本がプロ初安打を放った頃、東北福祉大で外野手としてプレーしていた耕一郎さんは顔面けいれんを頻繁に起こすようになっていた。同年10月17日、悪性脳腫瘍が発覚した。
大学卒業後も岐阜・中部学院大、茨城・明秀学園日立高でコーチを務めた。「野球が大好きな子でしたから。(高校時代の)恩師の金沢監督や、いろいろな方からご縁をいただいて頑張っていました」と母・三枝子さん。一方で、計5度の手術を受けながら病状は悪化していった。