成果主義?解雇されやすい?思い込みが煽る「ジョブ型雇用」不安

ジョブ型は解雇されやすい?

もう一点、ジョブ型になれば解雇されやすくなるという趣旨の議論が推進派、反対派の双方で見られる。以前、出席した政府の規制改革会議でも、そのような質問を受けた。最近では東京新聞に解雇しやすいとジョブ型の導入に警鐘を鳴らす記事が掲載された。

東京新聞(電子版)9月28日付の記事のイラストでは、日本型雇用の欄には「解雇規制あり」と書かれ、裁判官が「解雇ダメ」と宣告している一方、ジョブ型雇用の欄には「職務がなくなれば解雇」「能力不足でも解雇」と書かれていた。ジョブ型の推進派も反対派も同じようなメッセージを発しているだけに、そう思い込んでいる向きも多いのだが、これも8割方ウソである。

「始めにジョブありき」のジョブ型は、日本を除く多くの国々で行われている。そのうち、ほとんどすべての国で解雇規制がある。どんな理由でも、あるいは理由なんかなくても解雇が自由とされているのは米国くらいである。

確かに米国という国の存在感は大きい。だからといって、ジョブ型を取り入れている他の諸国を無視して「解雇自由」がジョブ型の特徴だなどと主張するのは、嘘偽りも甚だしい。米国以外のジョブ型の諸国と日本は、解雇規制があるという点で共通している。

解雇規制とは解雇禁止ではない。正当な理由のない解雇がダメなのであって、裏返して言えば、正当な理由のある解雇は問題なく有効なのである。その点でも共通である。

ただ、もしそれだけであれば、8割方ウソでは済まない。99%ウソと言うべきところだろう。実は、解雇については、法律で解雇をどの程度規制しているのかということだけではなく、雇用システムの在り方が大きな影響を及ぼしている。ある側面に着目すれば確かに、ジョブ型ではより容易な解雇がメンバーシップ型ではより困難になるという傾向はあるのだ。

これは単純化すると大間違いをしかねない点であり、腑分けして議論をしていかねばならない。この腑分けを怠った議論が世間に氾濫しているのが現状だ。

話が混乱したときは基礎の基礎に立ち返るのが一番である。繰り返しになるが、ジョブ型とは始めにジョブありきで、そこに人をはめ込むものだ。従って、労使いずれの側も、一方的に雇用契約の中身を書き換えることはできない。つまり、従事すべきジョブを変えることはできない。定期的な人事異動が当たり前で、仕事とは会社の命令でいくらでも変わるものだと心得ている日本人が理解していないのが、この点である。

例えば、借家契約が家屋という具体的な物件についての賃貸借契約であって、「大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然」という人間関係を設定する契約ではないように、雇用契約もジョブという客観的に存在する「物件」についての「労働力貸借契約」なのである。具体的なジョブを離れた会社と労働者の人間関係を設定する契約ではないのだ。

大家が借家を廃止して、その土地を再開発してマンションを建てると言われれば、少なくともその借家契約は終わるのが当たり前である。同様に、会社が事業を再編成して、ジョブを廃止するとなれば、その雇用契約は終わることになる。

大家には、別の借家に住まわせる義務があるわけではなく、店子の方もそれを要求する権利を持たない。同じように、廃止されるジョブに従事していた人を別のジョブにはめ込む義務が会社にあるわけではないし、労働者もそれを要求する権利を持たない。もちろん、借家の場合でも新しい借家を探す間は元の家に住まわせろとか、その間の家賃は免除しろとか、さまざまな配慮は必要だが、原理原則からすればそういうことである。

「リストラ」の意味

これが正確な意味でのリストラ(再構築)だ。解雇を規制している圧倒的大部分のジョブ型社会において、最も正当な理由のある解雇とみなされるのが、この種の解雇である。日本人にとって理解しがたいのは、日本では最も許しがたい解雇であり、極悪非道の極致とさえ思われているリストラが、最も正当な理由のある解雇であるという点であろう。ここが、ジョブ型の本質を理解できるかどうかの分かれ目である。

日本ではリストラという言葉が、会社にとって使えない社員をいかに追い出すかという意味で使われる傾向がある。というよりも、雇用契約で職務が限定されていないメンバーシップ型社員にとっては、会社の中に何らかの仕事があれば、そこに配置転換される可能性を有しているのに、それを無視して解雇しようというのは許しがたい悪行だとなるのは必然的な論理的帰結である。言い換えれば、会社が縮小して、労働者の排除が不可避的という状況にならない限り、リストラが正当化されるのは難しいということになる。

正当な理由のある解雇は良い、正当な理由のない解雇はダメ、というまったく同じ規範の下にありながら、ジョブ型社会とメンバーシップ型社会がリストラに対して対極的な姿を示すのは、こういうメカニズムによるものであって、それを解雇規制の有無で論じるのはまったくミスリーディングということになる。

もう少し複雑で、慎重な手つきで分析する必要があるのが「能力不足でも解雇」という問題だ。雇用契約でジョブが固定されている以上、そのジョブのスキルが求められる水準に達していなければ、解雇の正当な理由になることは間違いない。

ここでも基礎の基礎に立ち返って、ジョブ型の採用・就労を弁(わきまえ)えた上で議論をしないといけない。多くの人々は、ジョブ型社会ではあり得ないメンバーシップ型社会の常識を無意識裏に混入させて、能力不足を理由に解雇し放題であるかのように思い込んでいる。

まずは、上司や先輩がビシビシ鍛えていくことを前提に、スキルのない若者を新卒で一括採用する日本の常識を捨てなければならない。メンバーシップ型社会における「能力不足」とは、いかなる意味でも特定のジョブのスキルが足りないという意味ではない。上司や先輩が鍛えても能力が上がらない、あるいはやる気がないといった、まさに能力考課、情意考課で低く評価されるような意味での、極めて特殊な、日本以外では到底通じないような「能力不足」である。

そういう「能力不足」に対しては、日本の裁判所は、丁寧に教育訓練を施し、能力を開花させ、発揮できるようにしろと要求している。しかしそれは、メンバーシップ型自体の中にすでに含まれている規範なのだ。それゆえに、正当な理由のない解雇はダメという普遍的な規範が、メンバーシップ型の下でそのように解釈されざるを得ないのである。

ジョブ型社会においては、ジョブという枠に、ジョブを遂行する能力がある人間をはめ込むのだから、「能力不足」か否かが問題になるのは採用後の一定期間に限られる。ジョブインタビューでは「できます」と言っていたのに、実際に採用して仕事をさせてみたら全然できないじゃないか、というような場合だ。

そういうとき、さっさと解雇できるようにするために試用期間という制度がある。逆に、試用期間を超えて長年そのジョブをやらせ、5年も10年もたってから「能力不足」だ、などと言いがかりを付けても認められる可能性はほとんどないと考えられる。

こういう話をすると「いやいや、5年も10年も経てば、もっと上の難しい仕事をしているはずだから、その仕事に『能力不足』ということはありうるんじゃないか」と言う人もいるだろう。そのこと自体が、メンバーシップ型の常識にどっぷり浸かって、ジョブ型を理解していないということである。

5年後、10年後に、採用されたジョブとは別のジョブに就いているとしたら、それは社内外の人材を求めるジョブの公募に応募して採用されたからである。ジョブ型社会においては、社外から社内のジョブに採用されるのも、社内から社内の別のジョブに採用されるのも、本質的には同じことだ。今までのジョブをこなせていた人が、新たなジョブでは「能力不足」と判断されることは十分あり得る。その場合、解雇の正当性があるとはいえ、低いジョブに戻ってもらうのが一般的だろう。

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