成果主義?解雇されやすい?思い込みが煽る「ジョブ型雇用」不安(1/3ページ) - イザ!

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成果主義?解雇されやすい?思い込みが煽る「ジョブ型雇用」不安

※オピニオンサイト「iRONNA」に掲載された論考です。肩書などは当時のものです。

濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構研究所長)

経団連は今年1月に公表した『2020年版経営労働政策特別委員会報告』で、職務(ジョブ)を明確にした雇用制度「ジョブ型雇用」を打ち出した。新型コロナウイルス禍でテレワークが急増し、テレワークがうまくいかないのは日本的な「メンバーシップ型」のせいだ、今こそジョブ型に転換すべきだという声がマスコミやネットでわき上がっている。

日本型雇用システムの特徴を、欧米やアジア諸国のジョブ型と対比させて「メンバーシップ型」と名付けたのは私自身であるが、昨今のジョブ型という言葉の氾濫には眉をひそめざるを得ない。

というのも、最近マスコミにあふれるジョブ型論のほとんどは一知半解で、言葉を振り回しているだけだからだ。ここでは、その中でも特に目に余る2つのタイプを批判しておきたい。

1つ目は特に日経新聞の記事で繰り返し語られる、労働時間ではなく成果で評価するのがジョブ型だという議論だ。あまりにも頻繁に紙面でお目にかかるため、そう思い込んでいる人が実に多いのだが、これは9割方ウソである。

ジョブ型であれメンバーシップ型であれ、ハイエンドの仕事になれるほど仕事ぶりを評価されるし、ミドルから下の方になるほど評価されなくなる。それは共通だが、そのレベルが違う。

多くの人の理解とは逆に、ジョブ型社会では一部の労働者を除けば仕事ぶりを評価されないのに対し、メンバーシップ型では末端のヒラ社員に至るまで評価の対象となる。そこが最大の違いである。

ジョブ型とはどういうことかを基礎まで戻って考えれば当たり前の話だ。ジョブ型とは、最初にジョブがあり、そこにジョブを遂行できる人材をはめ込む。人材の評価は事前に行われるのであって、後は担当のジョブをきちんと遂行できているかだけを確認すればよい。

多くのジョブは、その遂行の度合いを細かく評価するようにはなっていない。仕事内容などを明記した職務記述書(ジョブディスクリプション)に書かれた任務を遂行できたかどうかが焦点であり、できていれば定められた価格(賃金)を払うだけである。これがジョブ型の大原則であって、そもそも普通のジョブに成果主義などは馴染まない。

例外的に、経営層に近いハイエンドのジョブになればジョブディスクリプションが広範かつ曖昧であって、仕事ができているか否かの判断がしにくく、成果を細かく評価されるようになる。これが多くのマスコミや評論が想定する成果主義であろうが、それをもってジョブ型の典型とみなすことはできない。米国の大学がすべてハーバード大並みの教育をしていると思い込むこと以上に現実離れしている。

「能力」が示すもの

これに対し、日本のメンバーシップ型においては、欧米の同レベルの労働者が評価対象ではないのと正反対に、末端のヒラ社員に至るまで事細かな評価の対象になる。ただし、そもそもジョブ型ではないので、入社時も入社後もジョブのスキルで評価されるわけではない。

では、彼らは何を基準に評価されているのかというと、日本の会社に生きる社員諸氏は重々承知のように、日本的な意味における「能力」を評価され、「意欲」を評価されているのである。

人事労務用語で言えば能力考課であり、情意考課である。このうち「能力」という言葉は要注意であって、いかなる意味でも具体的なジョブのスキルという意味ではない。社内で「あいつはできる」というときの「できる」であり、潜在能力、人間力等々を意味する。

情意考課の対象である「意欲」は、要は「やる気」であるが、往々にして深夜まで居残って熱心に仕事をしている姿がその徴表として評価されがちである。また、業績考課という項目もあるが、集団で仕事を遂行する日本的な職場では一人一人の業績を区分けすることも難しい。つまり、成果主義は困難である。

このように、ハイエンドではない多くの労働者層を見れば、ジョブ型よりもメンバーシップ型の方が圧倒的に人を評価しているのだが、その評価の中身が「能力」や「意欲」に偏り、「成果」による評価が乏しいということである。

問題は、この中くらいから末端に至るレベルの労働者向けの評価スタイルが、それよりも上位に位置する人々、経営者に近い側の人々に対しても適用されてしまいがちだということであろう。

ジョブ型社会でのカウンターパートに当たる米国などの労働者「エグゼンプト」は、ジョブディスクリプションに書かれていることさえちゃんとやっていれば安泰な一般労働者とは大きく事情が異なり、成果を厳しく評価されている。日本の管理職はぬるま湯に安住しているという批判はここからくる。

そしてその際、情意考課で安易に用いられがちな「意欲」の徴表としての長時間労働がやり玉に挙がり、労働時間ではなく成果で評価するのがジョブ型だという、日経新聞でお目にかかる千編一律のスローガンが生み出されるというわけだ。

ハイエンドの人々は厳しく成果で評価されるべきであろう。その意味で「9割方ウソ」の残り1割は本当だと認められる。しかし、そういう人はジョブ型社会でも一握りにすぎない。

ジョブ型社会の典型的な労働者像はそれとはまったく異なる。もし、ジョブ型社会では皆、少なくともメンバーシップ社会で「能力」や「意欲」を評価されている末端のヒラ社員と同じレベルの労働者までが成果主義で厳しく査定されるというのであれば、それは明らかな誤解であると言わなければならない。

ジョブ型とメンバーシップ型の違いは、そんなところには全くない。「始めにジョブありき」が最初であり最後、ジョブ型のすべてである。ジョブディスクリプションに具体的内容が明示されたジョブが存在し、それぞれに、ほぼ固定された価格が付けられている。その上で人材を募集し、スキルを有する人間が応募する。ジョブインタビュー(面接)を通じて現場管理者が応募者を採用すれば、実際に就労してジョブを遂行できるかどうか確認し、賃金が支払われる。多く場合、ジョブ型とはこれに尽きるのである。

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