安否を憂う間もなく村民らの避難生活が始まり、被災者支援に奔走。しばらくして、末行さんの訃報が届いた。避難所運営の合間を縫って葬儀に駆け付け、遺骨と対面できたのは12日になってからだった。
地下さんは高校卒業後、関東の大学に進学。同世代の若者の多くが村を出る中、帰郷したのは山と川に囲まれた自然豊かな故郷を愛していたからだ。
その美しい自然が突然、牙をむいた。村職員として渡地区が最大10メートルの浸水想定区域であることは知っていた。昨年からは地域で順次、自主防災組織が立ち上がり、水害対策の取り組みが本格的に始まろうとしていた矢先だった。「いつか来るだろうとは思っていた。でも、こんなに早くその時が来るなんて」
現在は家族とともに避難生活を送る身だ。村外に避難した村民らは「もう村には住まん」と口にする。「果たしてどれだけの人が残ってくれるのか…。故郷はもう元の通りには戻らないかもしれない」。人口約3500人の小さな村の復興の道のりが平坦でないことは覚悟している。
だが、村の仮設住宅の建設が決定するなど、生活再建に向けた動きも徐々に始まりつつある。
「現実は現実として受け止めないといけない。球磨村の人間として、自分のできる限りのことをやっていく。みんなで支え合いながら故郷を復興させていきたい」。そう力を込めた。