「香港人」は漢民族にあらず、蘇生するには真の独立しかない

※オピニオンサイト「iRONNA」に掲載された論考です。肩書などは当時のものです。

楊海英(静岡大アジア研究センター長)

 香港は殺された。「23歳」で中国共産党に殺された。

 1997年にイギリスの統治から中国に返還されたとき、50年間は香港人の従来の生活を保障する、と共産党政府は約束していた。しかし、まだ23年しか経っていない現在、「一国二制度を50年間守る」という国際的な公約は「国家安全維持法」の導入により、簡単に破り捨てられた。香港が殺された、と国際社会は理解し、そう表現している。

 香港を中国へ返還すべきか否か、当時のイギリスの首相で、「鉄の女」の異名を持つサッチャーは悩んでいた。彼女に対し、共産党の最高実力者の鄧小平は「返還した後も、香港人は昔のように馬を飛ばしなさい。ダンスに興じなさい」、とユーモラスに語った。

 「馬を飛ばす」ことは競馬を指し、「ダンスに興じる」ことは、夜の街での楽しみを意味する。どちらも「腐敗した資本主義のブルジョアジーの金もうけの営みだ」、と社会主義の優越性を標榜する共産党はそう認識していた。要するに、以前のように資本主義制度を生きなさい、との言い方だった。

 鄧小平の独特な言い方は、実は共産党政府が香港人を理解していなかった事実を表している。金もうけさえしていればいい連中だ、と共産党政府は香港人をこのように一方的に断じていた。

 返還された年に香港を旅した私は、至るところで大陸からの観光客が現地人をバカにしている風景を目撃した。店で食事した後も、金を投げ捨てるように極めて傲慢な態度で渡していた。それでも香港人は顔色を変えずに応じていた。

 郵便局でも同じだった。北京からの客が地元の職員を大声で怒鳴りつけ、「昔はイギリス人に怒られていただろう、下僕なら慣れているだろう」、と相手を侮辱していた。確かに「イギリスに支配」されていたが、「祖国の懐に戻った」のだから、暖かく迎え入れてもいいのではないか、と私はそばに立ってそう思った。

 「イギリスに養子に出されて長くなったので、祖国の懐の温かさが分からない」、と当時の香港の知人は私に自分の悲しみについて語った。このままでは早晩、爆発するだろう、と私はそのように認識し、香港を離れた。その後も、数回にわたって、香港を調査旅行したが、嫌中感情は高まる一方だった。

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