憲法の将来、それは三島由紀夫の「視座」こそが教えてくれる

「米国による平和」の終わり

二つ目の、重要な三島の問題提起は、シビリアン・コントロール(文民統制)である。日本は長らく旧軍出身者を排除し自衛隊を抑えつけることが、シビリアン・コントロールの目的となってきた。三島の書く文章の隅々に、そうした時代の雰囲気が顔をのぞかせている。

三島が自衛隊に対する不満を持っていたのも、そのような扱われ方に甘んじていたがゆえだろう。しかし、それは敗戦後しばらくの間必要だったことに過ぎないのであって、現在の日本に三島の懸念した米軍と日本政府のような二重権威は存在しない。

とりわけ安倍政権になってからは、総理や国家安全保障会議が自衛隊に対する統制を強めたところがある。日本は敗戦国特有の課題から、先進国並みのシビリアン・コントロールの課題に移行しつつあるのだ。

三島が生きていたとしたら、今の日本を見て何を思うだろうか。自衛隊の中の雰囲気も、かつてとはだいぶ異なっているだろう。官僚化し、しかし地道に政府の厳正な統制の下で自らの役割を担っている自衛隊のあり方は、中庸な落ち着き先として悪くないのかもしれない。

何よりも、変わったのは日本ではなくて世界だったのである。敗戦後、日本がプライドを消し去ったと考える人は、国際情勢を視野の外に置いた日本についてだけの議論をしがちだ。

20世紀後半から2020年までの世界はパックス・アメリカーナ(米国による平和)の時代であり、西側陣営が提携を強めていく時代であった。その初期を見ていた三島が感じた課題と、パックス・アメリカーナの終わりに差し掛かった現在の私たちが感じる課題は、全く異なるものだ。

戦乱の世の復活とはいかないまでも、パックス・アメリカーナの後退によって、再び日本が自立の度合いを高めなければいけない時代に入ってきたことは確かである。そのとき、日本はどのような「軸」をもって国際平和と国防を考えるのであろうか。

日本国憲法の前文には素晴らしい理念がうたってある。私はほぼ異存はない。

諸国民の公正と信義というのは、言わば西側陣営内の結束と互いに対するフェアネスに読み替えることができるだろう。この憲法を書いたのは米国なのだから、自由主義国としての彼らの理想が詰まっているはずである。

そこに仮に追加するべき思想があるならば、インドのような非同盟諸国が主張してきたように、国家主権を尊重し、互いに中立的で不介入であろうとする態度だろう。日本が取るべきは、米国のイラク戦争のように相手国に侵攻して政権を倒して民主化する態度ではなく、相手に影響を与え続け関与し続けることで理想を実現しようとする態度である。9条1項は、そうした主権平等の原理原則を実現するために不可欠な、侵略戦争の禁止が書いてある。

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