「民主党の失敗」が呼び覚ました団塊世代に眠る全共闘のDNA - イザ!

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「民主党の失敗」が呼び覚ました団塊世代に眠る全共闘のDNA

※オピニオンサイト「iRONNA」に掲載された論考です。肩書などは当時のものです。

2018/11/12

舛添要一(前東京都知事)

最近のメディアの世論調査を見ると、若い世代ほど「親安倍政権」であり、高齢者は「反安倍傾向」である。なぜそうなのか。

私は1948年生まれの「団塊の世代」に属するが、私たちが若いころには、自民党政権支持など、ありえなかった事態である。若者はラジカル(急進的)で、時の政権を批判し、齢(よわい)を重ねるほど保守的になって政権支持になるというのが常態であった。

私は1967年に東大に入学したが、当時はベトナム反戦、日米安保反対といった学生運動が盛んであり、68年には学園紛争が全国に拡大していった。学生や知識人、ジャーナリスト、評論家の圧倒的多数は、そのような学生運動に共感を抱く「進歩的文化人」であった。

当時は、大学のキャンパスでは、私が専門とする戦争や安全保障の研究ができる雰囲気ではなく、フランス留学から帰国したときには途方に暮れたものである。戦争を研究し、戦争の原因を究明することが人類にとって役に立つのに、「戦争研究」なら認めない、でも「平和研究」なら認める、という摩訶(まか)不思議な論理が貫徹していたのである。

笑止千万であるが、その空気を若いころに吸ったのが今のシルバー世代である。その空気の背景にはさまざまな要因がある。

第一は、わずかな時期を除いて、第2次大戦後は自民党が政権を維持してきたことである。イスラエルの労働党、スウェーデンの社会民主党などとともに、このような長期政権を「一党優位制(one party dominance)」と名づけ、私も含め政治学者たちは研究を進めた。

「政権イコール自民党」であって、外交や経済や社会に問題があれば、それは政権、つまり自民党に問題があるという結論以外にはなかったのである。

第二は、戦後の東西冷戦である。単純化すれば、自民党は米国主導の自由主義陣営、社会党はソ連が支配する社会主義陣営と色分けでき、日米安保や自衛隊に反対するのが「革新」、賛成するのが「保守」という区分けになっていた。

高度成長が許した「甘え」

先述した「進歩的文化人」は、当然のことながら「革新」であり、メディアの多数はこちらの陣営に属した。政治学者の丸山真男に代表される学会や評論家も彼らの支配下にあったと言ってよい。自民党政権に好意的な態度を取ると「保守反動」と罵られるため、知識人はポーズだけでも「革新」ということにせねばならなかった。

これは、実は戦後の高度経済成長が許した「甘え」だったと言ってもよいが、そのぬるま湯に漬かった日本人に冷水を浴びせかけたのが、73年に起こった石油危機である。79年にも第2次石油危機が訪れるが、この二つの石油危機が、第三の要因である。

原油価格次第では日本の繁栄は砂上の楼閣となるかもしれず、もはや「革新ごっこ」を楽しんでいる余裕などなくなった。団塊の世代も、生きていくためには「革新」という仮面を捨てるしか手がなかったのである。

第四の要因は、1989年のベルリンの壁崩壊であり、東西冷戦の終焉(しゅうえん)である。米ソ二大陣営間の競争はソ連の敗北に終わり、日本でも革新勢力の影響力が大幅に減退し、「進歩的文化人」も博物館入りするようになっていった。しかしながら、自民党が政権を担う状況は続いており、国のかじ取りに対する不満は自民党の責任にする以外になかったのである。

ところが、90年代に入ると、そのような政治にも変化が現れる。政権交代である。これが第五の要因である。

93年には、非自民・非共産の細川護煕政権が誕生するが、263日で退陣し、後継の羽田孜内閣も64日の短命に終わった。その後、自民党・社会党・さきがけの連立による村山富市内閣を経て、96年11月には、連立政権を引き継いでいた橋本龍太郎による自民党単独政権となる。

93年の政権交代は、自民党から飛び出した小沢一郎や羽田孜が主導したものであり、結局は旧自民党の「へその緒」をつけたものであったと言っても過言ではない。

しかし、2009年9月の政権交代は、自民党と正面から対決した民主党の圧勝によるものであり、初めての本格的なものであった。私は麻生内閣の閣僚であったが、政策の中身よりも「政権交代」の4文字に負けたと思っている。

多くの国民が、変革への期待を民主党に寄せたのである。「コンクリートから人へ」というスローガンなどが、自民党による旧態依然とした利権政治に風穴を開けるもとして魅力的に映ったのであろう。

ついに「選挙で権力を倒す」

団塊の世代にとっては、自民党政権は岩盤のように強固で、何度挑戦しても倒せなかった。ところが、2009年夏の総選挙では、ついに「選挙で権力を倒す」ということが可能となりそうになり、がぜん元気づいたのである。

選挙となった瞬間に、大臣の私は敗北を覚悟したし、麻生首相が解散のタイミングを間違えたと残念に思ったものである。仲間の選挙応援のために全国を回りながら、敗北が避けられず下野することは確実だという認識を強めていった。

政権に就いた民主党は、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と3人の内閣総理大臣を輩出したものの、大きな改革もできず、東日本大震災・原発事故も起こり、失敗のうちに2012年12月に終わった。成果を上げる前にわずか3年で潰えてしまった民主党政権は、団塊の世代にとっては、批判をしようにも、余りにも短期政権過ぎたのである。

自民党が政権に復帰し、安倍長期政権が盤石なものとなるにつれて、野党は分裂し、非力なものとなっていく。もはや選挙による政権交代は夢物語となり、団塊の世代は、若い頃のベトナム反戦デモのように、直接街頭に出たり、市民運動に参加したりしながら、政治への不満を発散していく。定年退職後で時間も十分にある。

民主党政権の失敗は、選挙によって国を変革するという可能性を摘んでしまったと言ってもよい。自民党の一党支配が再開されたのであり、それはまた長く続くと思われている。

もともと、反政府的、反権力的なDNAを持つ団塊の世代は、安倍長期政権に批判的な態度を示すのである。民主党政権がもう少し長く続き、実績も積み上げていたならば、「政権イコール自民党」という図式も壊れていたであろうし、団塊の世代の態度もまた変化していたであろう。

「政権交代」というスローガンで権力の座に着いた民主党は、政権運営に失敗し、「政権交代」という言葉は輝きを失った。元気で知識も時間も潤沢にあるシルバー世代は、民主党や後継の諸政党に代わって、自民党政権を監視する役割を果たしている気分なのである。

団塊の世代の安倍政権に対する批判的な姿勢は、民主党政権に対する絶望が原点だと言ってもよい。民主党政権の責任は極めて重い。

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