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義務感が強すぎる日本人だからこそ道徳教育は必要ない

※オピニオンサイト「iRONNA」に掲載された論考です。肩書などは当時のものです。

和田秀樹(精神科医)

ついに、と言っていいのだろうが、「道徳」が小学校で今春から教科となり、中学校でも来春からスタートする。これに伴って検定教科書も作られた。ただ、私自身は、いくつかの点でこれを手放しに喜んではいない。

そもそも、2003年に年間14万人以上いた刑法犯少年の数は2017年には約2万7000人となり、14年連続減少しており、戦後最少をこの6年更新している。刑法犯の認知件数の方も2002年から減り続け、人口1000人当たりで見ると約3分の1となっており、少年非行は深刻な事態とは言えない。

駅やレジで順番通り並ぶ姿も、東日本大震災のような大災害の際に火事場泥棒がほとんど発生しなかったことにしても(少しはあったようだが…)、あるいはその際の助け合いにしても、日本人の道徳心の高さは外国からは驚嘆の目で見られる。

私自身、高齢者を専門とする精神科の医師を長年続けているが、親の介護は子がしなくてはいけないという義務感に苦しみ、素直に人に頼ったり、親を施設に入れたりすることに抵抗がある人の方が圧倒的に多い。

戦前の日本は平均寿命が決して長くなく、また寝たきりになると褥瘡(じょくそう)などで感染症を起こし、すぐに死亡していたことを考えると、在宅介護が当たり前になったのは、この30年くらいのはずだが、日本人はむしろ義務感が強すぎるぐらいだ。実際、介護のために鬱(うつ)になったり、最悪、自殺する人も後を絶たない。こうした中で、拙速に道徳教育を科目化してまで行う必要がある国に思えないのだ。

もう一つは、認知科学、精神医学の立場から見ての危険性だ。最近の精神医学で注目されている認知療法では、心に悪い考え方を持つ人が鬱病になりやすく、鬱病になった際に治りにくいとされている。

その中で最も問題視されているのが、「かくあるべし思考」と「二分割思考」だ。「かくあるべし思考」が強い人は、自分がその理想像に達していないと不全感を抱き、それがひどくなると鬱状態になりやすい。鬱になってしまった際も、少しましになったと考えることができず、まだまだ理想像と遠いと思ってしまうので、改善も遅い。

介護のように延々と続く作業で「かくあるべし」にとらわれてしまうと、体力ももたないだけでなく、きちんと介護をしているのに「まだまだ」と考えて自責感が強くなってしまう。さらに他人にも「かくあるべし」を求めがちだ。

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