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東京の学生街の一つ、お茶の水。かつてほどではないにせよ大学生を多く見かける。
その地名は、徳川2代将軍秀忠が、この地にあった高林寺の境内から湧き出た水を使ったお茶を飲んで大変気に入り、徳川家御用達になったことに由来する。
JR御茶ノ水駅の隣を流れる神田川。ここは人工の川なのだ。もともと平川と呼ばれていたこの川の流路はほぼ現在の日本橋川だったが、下流で洪水が頻発したため、飯田橋付近で東に流すことになった。
だが、その先には武蔵野台地の先端が本郷・湯島方面から南に延びており、神田山と呼ばれていた。
元和6(1620)年の放水路の掘削工事で、神田山は2つに分かれてしまった。さらにその後、神田川が拡張された際、高林寺の湧水は河川敷に含まれ消えてしまった。高林寺も文京区向丘に移転している。
2つに分かれた神田山は、北側が湯島台、南側が駿河台と呼ばれた。
駿河台は、家康が駿府(静岡)で没した後、家康付きを解かれ、駿河から帰ってきた旗本たち(駿河衆)が、江戸城に近く富士山を望むこの地に屋敷を建てた。駿河衆が住んでいたことからそう呼ばれるようになったという。