小沢はその後、国民から審査員が選ばれる検察審査会に強制起訴された。1審判決は最大の立証ハードルだった秘書と小沢の間の「報告・了承」を認め、共謀成立にも「相応の根拠がある」としながら、故意の立証が不十分だとして無罪を言い渡した。2審も無罪となり、確定した。
強制起訴裁判で検察官役を担う指定弁護士と、実際に捜査にあたった特捜部では立証能力の差は歴然。積極派の幹部らは「特捜部が起訴していれば、有罪が取れたはず」と悔しがった。
不発に終わった小沢捜査は、その後の特捜部を含めた検察退潮の契機となる。
東芝立件に及び腰 無罪の恐怖「失敗できぬ」
小沢一郎不起訴から6年後の平成28年7月15日。東京・虎ノ門の金融庁5階にある証券取引等監視委員会の委員長室に、監視委事務方トップの事務局長、佐々木清隆(56)らが慌ただしく入っていった。
目的は委員長の佐渡賢一(71)を説得するためだった。佐渡は東京地検特捜部時代にリクルート事件や東京佐川急便事件などを手掛けた元敏腕検事だ。福岡高検検事長を最後に退官し、19年に監視委トップに就任。以来10年近く、オリンパスの粉飾など数多くの証券犯罪を摘発してきた。