実際、中村は中学時代、広島県廿日市市の「大野シニア」に所属していたが、自身で「正直、人生をなめていました」と反省するほど、野球以外の生活態度は品行方正とは言い難かったようだ。中井監督と出会ったのはそんな頃だった。
「野球の話は一切されませんでした。男として真っすぐな生き方を話してくださった。素晴らしい指導者の方は他にもいるけれど、そんな話をしてもらったのは監督だけでした」と中村。
当時中村の名前は広島県内に響き渡っており、県内外の野球強豪校が中村の元を訪れては練習環境やプロ入り、進学実績を次々にアピールしていたという。
ところが中井監督は「僕は勧誘なんて考えてない。『ウチにはいらん』と言いましたから。親御さんの前でもう大説教ですよ。『お母さんを大事にしろ。親を大事にせんやつが、他人をいたわれるか。そんなやつが野球がうまくなれるか』と言い聞かせました」。
中村自身が「自分を変えようと思っていた」ところに、同監督の言葉が突き刺さり、その指導を受けたいと広陵への進学を決意した。