■1月28日
1991年以来の歴史を閉じる神戸市西区のオリックス合宿所「青濤館」をのぞいてきた。小欄は94-96年に担当。仰木彬監督のもとイチローが大ブレークし、3年間の順位は2位、優勝、日本一。堂々の勝ち組として出入りできる場所がなくなるのは本当に寂しい。
報道陣は居住スペースに立ち入れず、3年間で2階の食堂に足を踏み入れたのは1度しかない。95年1月17日、阪神大震災の発生当日に選手や関係者の状況をそこで聞いた。山を削った地盤は堅固で、建物の被害は軽微。近隣の皆さんに備蓄していた水や食料を配り、市民球団の拠点としてフル回転した。
91年オフにドラフト4位入団したイチローは、青濤館の浴室で同1位の田口現2軍監督の裸体に打ちのめされる。関学大で、アメリカンフットボール部などとともに最先端のトレーニングを積んだ筋骨隆々の体。「こんな人とやっていかないといけないのか」。震災時に住民に開放された浴室は、イチローの鍛え上げられた肉体の出発点でもある。
自主トレの際、青濤館から出発するロードワークにはいくつかコースがあった。見せてもらった簡単な地図には途中に「福良邸」の文字。それが曲がる目印なのか、福良現監督またはご家族による内緒の休憩地点なのかは、誰も教えてくれなかった。
青濤館の宮田典計寮長には担当当時、打撃投手兼スコアラーのイチローの恋人としてさんざん話を聞いた。顔を見て「久しぶり」のひと言で、よみがえる記憶の多さに驚く。3月からは大阪・舞洲の寮で、新たなプロ人生、記者人生が刻まれていく。それが明るく、笑いに満ちたものであることを願っている。 (親谷誠司)