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東京ドームの一塁側ベンチの奥にあるロッカールームから、当時選手だった清原和博被告が出てきた。顔見知りの若手記者を見つけるやメモを渡し「おい、この馬券、買ってこい」。若手記者は場外馬券売り場へと向かった。
平成11年から2シーズン、巨人担当として清原被告に接した。
「番長」の異名で知られた清原被告はグラウンド外で異彩を放っていた。トレーニング施設に通い、筋骨隆々の「鎧(よろい)」を身につけると、若手選手らにプロレスまがいの技をかけていた姿も覚えている。
8年オフ、西武から巨人へ移籍。しかし、念願かなった憧れの球団での居心地は決してよいものではなかった。担当当時、野手では松井秀喜や高橋由伸といった選手が主軸。自らは30代に入り、故障がちで先発メンバーから外れることも多くなっていた。
豪快そうに見えて、繊細でもあった。新聞の見出しや記事を気にし、悪く書いた記者に突っかかるようなこともあった。12年はプロ初となる開幕2軍スタート。「チャンスで打てない」と当時の渡辺恒雄オーナーから指摘されたのもこのころで、故障すると「これ以上言うと問題になるが、勝利の要因が増えてきたな」「邪魔をしなければいい」と揶揄(やゆ)された。