中国の官吏登用制度「科挙」が始まったのは、6世紀の終わり、隋の時代である。地方貴族の力を抑え、万人のなかから有為の人材を試験で選び登用するのが目的だった。
▼20世紀の初めに廃止されるまで、1300年も続いたのは、おおむね公正に行われてきたからだろう。ただ、競争が激しくなるにつれて、不正が蔓延(まんえん)した。豆本を試験場に持ち込む。絹の肌着に、四書五経の本文を書き込む。替え玉を頼む。東洋史学者、宮崎市定さんの『科挙』には、さまざまな手口が紹介されている。なかでも試験官を抱き込むのが、もっとも確実な方法だ。両者の共謀は「関節」と呼ばれた。
▼合格率3%以下という超難関のかつての司法試験はまさに、「現代の科挙」だった。司法改革に伴い、平成16年から法科大学院が開校した。試験が新しくなっても、狭き門であることには変わりない。その公正さが、揺らぎかねない事件である。