総支局記者コラム

埼玉・秩父路に刻まれた宮沢賢治の足跡 20歳で地質調査に訪れる

新生代地層の大露頭「ようばけ」(右奥)の近くに建つ宮沢賢治の歌碑(右)。左は友人、保阪嘉内の歌碑=4日、埼玉県秩父市小鹿野町
新生代地層の大露頭「ようばけ」(右奥)の近くに建つ宮沢賢治の歌碑(右)。左は友人、保阪嘉内の歌碑=4日、埼玉県秩父市小鹿野町

 埼玉県北部の桜が満開だった今月4日朝、秩父地方へと電車で足を延ばした。あいにくの小雨で、花見なら気をもむ空模様だが、こちらは秩父路に建てられた宮沢賢治=写真=の歌碑を見に行くのが目的。「雨ニモマケズ」の心意気である。

 詩人で童話作家の賢治は大正5(1916)年9月、20歳のときに、秩父地方を盛岡高等農林学校の地質調査旅行で訪れている。賢治は子供の頃に「石っ子賢さん」と呼ばれるほど石集めが好きだった。秩父地方は秩父古生層、新生代地層など多様な地層が露出しており、地質を学ぶ生徒には格好の実習地だった。

 萩原昌好・埼玉大名誉教授によると、滞在は9月2~7日。熊谷から寄居(よりい)、皆野(みなの)を経て4日には小鹿野(おがの)町の新生代地層が大きく露出した「ようばけ」を訪れた。「さはやかに半月かゝる薄明の秩父の峡(かひ)のかへり道かな」。これはようばけ近くの歌碑に刻まれた歌だ。

 歌碑はないが、同町で賢治が友人・保阪嘉内宛てに投函(とうかん)したはがきには、こんな歌も記されている。「山かひの町の土蔵のうすうすと夕もやに暮れわれら歌へり」。この「歌へり」は後に「もだせり(黙った)」と推敲(すいこう)され発表された。対照的な表現からは、当時の町の情景に加えて、地質調査で一日を終えた若者たちが時に高揚して皆で歌い、時に重い疲れで沈黙して歩く様子がしのばれるようで、味わい深い。

 三峯山の宿坊に泊まった際には「星月夜なほいなづまはひらめきぬ三みねやまになけるこほろぎ」など7首を詠んだ。その日は平野部が雷に見舞われ、山頂は晴れていたことが気象台の記録で裏付けられている。

 長瀞町の秩父鉄道野上駅そばの歌碑には、賢治が秩父路の道行きの最後に詠んだとみられる歌がある。

 「盆地にも今日は別れの本野上駅にひかれるたうきびの穂よ」

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