<小学1年の頃、競技に打ち込む父・真吾氏の背中を追うようにボクシングを始めた>
やはりアマチュアでボクシングをしていた父の影響が一番大きかったですね。父が練習しているのを見て、自分も強くなりたい、という思いが芽生えましたから。父から反対されることなく、一緒に並んで体を動かすようになりました。最初の8カ月ぐらいは家で練習していましたね。
練習がきつくて、小学生の頃にやめたいと思ったこともあります。でも、父はやめさせない方向に持っていくのがうまいんですよ。
相談すると、あっさり「やめていいよ」と言われます。すると、やっぱり悔しい気持ちになるじゃないですか。結局、自分の本心は続けたい、ということだったのでしょう。
<高校の頃から非凡な才能を見せていた。神奈川・相模原青陵高1年でインターハイ、国体、選抜の「3冠」を達成。在校中の総獲得タイトルは7つに及んだ。だが、目指していたロンドン五輪への出場権をつかみ取ることはできなかった>
五輪へ出場したいという思いは強かったのですが、もともとプロ志望だったのですぐに切り替えられました。五輪は自分の中で現実的ではなかった部分があります。目標というか、夢というか。必ず出られるという自信はありませんでした。
高校3年生でしたからね。まわりがみんな20歳を過ぎているような中では、まだ子供です。国際大会でのキャリアもそう多くはありませんでした。目指すのが4年先のリオデジャネイロ五輪や8年先の東京五輪なら、自信を持って臨めたとは思うのですが。
ただ、日本よりレベルが高い海外での試合経験を得られたのは大きかったと思います。外国の選手はテンポやリズムがまったく違います。会場の雰囲気もそう。アマチュアの経験がなかったら、最短で世界王者になることも2階級制覇を果たすこともできなかったでしょう。
<アマチュアからプロへの転身。プロではヘッドギアがなくなり、世界戦になればラウンド数はアマの4倍となる最大12回戦うことが求められる。「似て非なる競技」と言われることもあり、アマの実績が必ずしも生きるわけではない>
自分はそれほど競技性に違いを感じませんでした。スタイルを変えることもありませんでしたから。ラウンド数が増えるぐらい、という感覚です。
アマチュアのときでも倒すイメージでボクシングをしていました。昔から父に教わってきたのはそういうスタイル。アマの練習とか、プロの練習とか、というのはないんです。父のボクシングを続けてきたのです。(聞き手 藤原翔)