〈米ニューヨークのハーレムで育つ。両親は住民向けの小さな食堂を経営していた。近くにある黒人音楽の殿堂アポロシアターに通い詰め、一番安い席からステージを見つめていた〉
母も叔母も歌が好きで、僕も教会で歌っていました。でも憧れていたのはエレベーターボーイ(笑)。そのうちファイブ・クラウンズというドリフターズの前身のバンドに誘われます。僕が書いた「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」という曲を当時のリード・シンガーが歌えなくて、僕が代わりにシンガーになりました。
〈音楽業界でキャリアは50年以上。「ブラック・ミュージック(黒人音楽)=ラップやヒップホップ」というイメージが固定されていることと、依然として残る黒人差別を懸念している〉
若手黒人ミュージシャンでは(ラッパーの)ジェイ・Zやリル・ウェインが成功しましたが、何十年も残る音楽なのかどうか。若い世代は熱狂していますが、何か大切なものを忘れているようにも感じます。いいと思うのはアッシャーとマックスウェル。彼らには「スタンド・バイ・ミー」のように、あらゆる世代が好きになれる曲を歌う力があると思います。
黒人が自分の音楽を作り続けていくことは難しいのが現実です。自分が作った曲を出してもヒットせず、白人が代わりに歌って大ヒット、自分は裏方に回る、なんて話は昔も今もよく起きます。僕は大手レコード会社に所属していたので、そういう目には遭わずに済みましたが。
〈音楽業界のビジネスモデルは会員制交流サイト(SNS)やユーチューブなどインターネットの活用、音楽の定額配信サービスの台頭で激変している〉
孫娘(21)はもっぱらオンラインでチェック、いまは世界中の音楽に無料で簡単に接することができます。でも僕らの若いころのように孫娘の世代には、外へ出て生の音楽を吸収してほしいのです。米国では「オープン・マイク」という、若手ミュージシャンが演奏できる公共スペースが浸透しています。努力している無名の若手は応援したいし、見に行くファンが増えてほしいですね。
音楽業界は、成功しそうな方向が見えると全体が一気にそちらへかじを切ってしまいます。誰かにその風潮を断ち切ってもらいたいのですが。長く残る音楽はジャズやクラシック、ポップスでも普遍的。技術革新とうまく付き合えれば将来をそう悲観することはないのでは。
〈今年も精力的な活動を続ける〉
普段の自分の声が好きで特別なボイストレーニングはしていません。健康なのはラッキーです。いま息子のベン・ジュニアとアルバムを制作中。より良い明日が来るような、人生に意味を見いだせるロマンチックな歌が多いですね。もうCD2枚分の曲があります。早く1枚にしなきゃ(笑)。(聞き手 藤沢志穂子)
=次回は高島屋専務、肥塚見春さん