吉田氏は福島第1原発事故時に所長として、免震重要棟で収束作業の対応にあたる一方で、現場に細かく介入してくる首相官邸と東電本店に対し「現場の判断」を貫き通した。所長として部下を現場に送る思い。官邸や本店との軋轢(あつれき)。東京電力が公開した事故当時の社内テレビ会議映像などからは、さまざまな思いで事故と対峙(たいじ)し苦悩する吉田氏の姿があった。
「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水をやめるな」。平成23年3月12日、水素爆発した1号機への海水注入をめぐり、「首相の了解がない」と中断を求めた本店の指示に反し、小声で作業員にこう伝え注水を続行させた。現場より官邸の意向を尊重する本店に、テレビ会議では面従腹背して、自らの経験と判断を優先させ事態の悪化を防いだ。
矢継ぎ早に指示を出す本店に対して、「いろいろ聞かないでください。ディスターブ(邪魔)しないでください」と声を荒らげることすらあった。本店とのやりとりでは遠慮せず、免震重要棟に怒声が響いたことも一度や二度ではなかったという。
23年3月14日の3号機水素爆発時について、「自分も含めて死んでもおかしくない状態だった。10人くらい死んだかもしれないと思った」。吉田氏は昨年8月に福島市で開かれた出版社主催のシンポジウムにビデオ出演してこう語った。
そんな過酷な現場に向かっていく部下や協力会社の作業員には「感謝」を超えた特別な思いがあった。