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重さ6キロ超「鉄馬」でキリマンジャロ、富士山を制覇した67歳「変人」

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重さ6キロ超「鉄馬」でキリマンジャロ、富士山を制覇した67歳「変人」

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「京都の鉄人」の異名も持つ広沢誠吉さん。空手の鍛錬で始めた「鉄馬」だったが、今やこれで山に挑み、手放しで食事もできる(提供写真)  とことん変わっていることは誰が見ても確か。だが、あなたはその登山家を「変人」だと笑うだろうか?

 アフリカ最高峰のキリマンジャロをはじめ、富士山や大峰山(奈良県)、京都の大文字山や愛宕山など国内外の山々を、特注した金属製の“鉄馬”に乗ったまま登るという奇抜な挑戦を続け、「京都の鉄人」と呼ばれる元京都市交通局職員の広沢誠吉さん(67)=京都市下京区。70歳近くなった今も、「愛馬」で山に挑み続ける男は、何を求めて頂を目指すのか…。「人生全て修行の場。人生全て生きがい」と語る生涯現役の山男は、なじみの鍛冶職人が仕上げた3代目の鉄馬を手に、人生の後半戦に挑む。

■鉄馬に乗って空手の形まで

 「今までの中で一番体になじむ」

 キリマンジャロ登山でも使った23年来の相棒だった2代目の鉄馬が3月、愛宕山の登山中に突然折れてしまったため、なじみの鍛冶職人に制作を依頼し、6月に完成した3代目鉄馬は、両方で計約6・6キロと、これまでの鉄馬より重く、より丈夫になった。

 足の指が接する部分は、指に合わせた角度にへこんでいるため、しっかりと足が固定できるようになっているなど、広沢さんの要望で改良も加えられている。期待通りの仕上がりに、広沢さんは「面白い山があったらぜひまた挑戦したい」と、新たな挑戦に向け、決意を新たにしている。

 3代目を仕上げたのは、同市右京区の鍛冶職人、野中市郎さん(66)。

約3年前まで鉄工所を経営し、広沢さんが登山に使った鉄げたや鉄馬をすべて制作していたが、すでに廃業していた。今回、長年の付き合いのある広沢さんのたっての依頼に「もっと丈夫なのを作ってやろう」と、特別に依頼を受けたという。

 鉄馬は、持てばずしりと重く、鉄馬登山の過酷さが伝わる。広沢さんはその3代目を使って、団地の中庭で鉄馬の扱い方を披露した。

 足をかけると、体の重心がぶれる様子もなくすっと立ち上がり、重さを感じさせない軽やかな“ステップ”。さらに、広沢さんは、鉄馬登山中に1人で食事ができるようにと身につけたという手放しの技も披露した。

 広沢さんは、鉄馬から両手を離しても、足を前後に小刻みに動かしながらバランスを保ち、驚くことに、空手の形まで平然とやってのける。鉄馬登山のきっかけとなった空手も5段の腕前で、山頂で仲間と演武を行うこともあったそうだ。

■キリマンジャロへ

 『赤道直下でありながら頂上には万年雪がある…』

 子供のころ、本でそう紹介されているのを読んで以来、あこがれ続けていたアフリカ最高峰、キリマンジャロ。

 平成3年6月、職場から異例の長期休暇を取得させてもらい、そのキリマンジャロに登るチャンスが訪れた。だが、鉄馬スタイルで現われた広沢さんを見て、現地のガイドは「そんなので登れる訳がない」と笑った。

 憧れ続けていたキリマンジャロ登山。それも初めての海外での鉄馬登山に向け、片足3キロづつ、6キロの鉄馬に重りを付け、さらに25キロの荷物を背負って登山を繰り返したり、高山病の予防のため息継ぎせずに25メートル泳いだりと、入念な対策を重ねていたという広沢さん。

 だが、現地のガイドにしてみれば、遠いニッポンから来た素っ頓狂なお客さんに見えたに違いない。

 それでも、登っていくうちにガイドの態度が変わっていった。「頂上近くなった頃には『頑張れ。頑張れ』と懸命に応援してくれた」という。

 結局3日間、寝る時以外、一度も足をつけず食事や休憩も愛馬の上でとり、標高5895メートルのアフリカ最高峰を登り切った。

 「頂上では、仲間や家族の応援を思い出して、感無量だった」と広沢さんは振り返る。

■きっかけは「もっと足腰に負担を」

 鉄馬登山のそもそものきっかけは、20代前半から続けている空手の鍛錬のため登山を始めたことだった。普通の登山に満足できず、「もっと足腰に負荷をかける方法は」と考え、初めは鉄げたで山を登った。

 最初は左右で8キロ、途中からは左右で20キロの特注鉄げたを使ったが、すぐに物足りなくなった。よりバランス感覚が要求される竹馬、そして、金属製の鉄馬での登山を始めたのは31歳の時だ。

 知り合いの鉄工所で計6キロの鉄馬を特注し愛宕山で使ってみたところ、「鉄げたは筋力と根性で何とかなるが、鉄馬は、バランス感覚と集中力も欠かせない」と、とりこになった。

 愛宕山や大文字山など鉄馬で登山をしてみると、初めは周囲から「変人、奇人」扱いされたが、何年も続けるうちに、いつしか「鉄人」と呼ばれるようになった。

 昭和55年には、富士山に初めて鉄馬で挑戦、途中一度も足をつくことなく、4時間25分で頂上までたどり着いた。以来、67歳になった今も、鉄馬登山を続けている。

■「感動は同じ」

 何事にも「誠実、不屈、謙虚」にあたるのが信条。京都市交通局の職員として、バスの運転手や地下鉄の駅員を務めたが、バランス感覚の特訓として一輪車通勤を続け、職場の異動などで、ときには通勤に1時間以上かかることもあったが30代半ばから65歳で退職するまで続けた。

 愛妻と子供が2人。退職を機に半生を振り返り、広沢さんは昨年、自伝『異色冒険 鉄馬登山家』(風詠社)を自費出版した。

 『色々手掛けて来たが、何れも決して早い方ではなかった。早かったのは、恋愛と、酒煙草くらいで空手、クライミング、狩猟、鉄馬登山、一輪車、スキー等、一般よりは遅く始めた』

 自伝でそう振り返った広沢さんだが、キリマンジャロ登頂後も、52歳のときには妻、長男とともに東南アジア最高峰キナバル(4095メートル)を鉄馬で登頂するなど、新たな挑戦を続けている。今年も67歳にして約1カ月スペインに滞在しロッククライミング三昧の日々を送るなど、超人的な生活だ。

 自伝ではこうも書いている。「物事を始める時、『この年からでは遅い』と言うが、大成は出来なくても、幾つから始めても感動は同じである」。

 3代目鉄馬を手に「これからも山登りも鉄馬も続ける。自伝の『後編』も出けるよう、もっと面白いことを積み重ねていきたい」という広沢さん。「後編」の目標も、130歳まで元気で生きることと並ではない。変人の目標だと笑う人があれば本望。「変人もとことんやれば偉人なり」だと確信している。

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