【灰色の記憶覚書】from London 異国での距離感に恥ずかしさを保つ
2009/03/09 20:03更新
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どちらかというと私の距離感は「近い」部類に入るのではないかと思われる。ここで言う距離感とは人とのフィジカル(物理的)な意味での距離感である。なので私が酒など呷(あお)りながら女性と話している際、周囲の者から「君達近過ぎるのではないかオイ!」などとお叱(しか)りを受けてしまうのであり、男性と話している時でさえ、本人から「あ、これはちょっと近いよね」と指摘されてしまうのである。しかし私にとってはそういった微妙なセンチメートル単位の距離の違いなどわからず「そうでありますか、申し訳なかった」などと謝ってはみるものの、「まあ言われてみればそうかもしれないが別段騒ぐ事のほどでもない」と受け流しているのである。フィジカルな距離感の個々の相違など些末(さまつ)なことであると思う。
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しかしアラン・レネ監督作品『24時間の情事』(原題は「Hiroshima Mon Amour」=1959年=であり、私は少々この邦題に不満を隠しきれないのであるが、邦題というものは意味だけを追い求めてはいけないのであり、ここでは大人しくやり過ごすことにする)における岡田英次演じる建築家の距離感は明らかに不快に感じてしまったので、改めて再考しなければいけないじゃないかということなのである。
物語は広島に映画出演の為(ため)に来ていたフランス人女性がこの男と知り合い、恋に落ちた、というか関係を持ったというところから始まるのだけど、男のフランス女への触り加減が度を超しているのである。男がフランス人であれば、あるいはアメリカ人であってもそうは感じなかったであろう。しかし仏語が堪能なこの二枚目日本人はあたかも自分が西洋人であるかのごとく、街中であろうがカフェーであろうが(それもかなり居酒屋めいたカフェーなのだ)女の肌にまとわりつくのだ。それも1950年代後半の広島で。勿論(もちろん)これは俳優の所為(せい)などではなく、そういった距離感に違和感を覚えなかった監督側の問題であろう。国籍によってそれぞれ独自の距離感を持っているということについて監督は考えを巡らさなかったのであろう。それぞれの国の距離感が国境を越えるとき、あるいは越えたのを目にした時、人々はそれぞれ強烈な違和感、時には不快感に襲われるのだ。
こうしてもうかれこれ数カ月ロンドンで過ごしていても、未(いま)だに怖(お)じ気(け)づいてしまうのは、ハグとキスである。勿論、郷に入っては郷に従えとばかり、えいやっとハグし、チュなんてことも当然しつつ過ごしてはいるのだけれど、照れくさいという気持ちが消える気配は今のところない。しかしこういった心の内というのは、異国人同士であってもやはり人間、時には相手に察せられてしまう。そうなるとどうなるかというと、私が恥ずかしいだけでなく、相手もちょっと恥ずかしいような気持ちでハグしてチュということとなり、互いに早くこのハグ剥(は)がしたいという珍妙な景色が出来上がるのである。
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しかし実のところ、私はこの恥ずかしさが消えないことを祈ってもいるのだ。確かに恥ずかしそうなハグは遣(や)る瀬(せ)無いのだけど、見事なハグはそれ以上に付いていかれなく、一段と顔を背けそうになってしまうのである。「まったく海外暮らしが合わんのだねえ」と笑って頂いて結構。私はこの恥ずかしさを維持することこそ、例え一見上手にハグやキスを振る舞えるようになったとしても、その違いへの照れを奥底に潜めておくことこそ、自然な暮らし方なのではなかろうかと思うのだ。私たち日本人にとってハグは、夫婦や恋人、親子、あるいは苦楽を共にした仲間と喜びを分かち合う際に生じる、つまり極めて特別な関係や瞬間のものであり、キスは夫婦、恋人、そして幼子と親との間だけに許された深い愛の行為なのだ。この地でハグを拒絶する程頑固な私ではない。異人の両腕に身を任せながら、「どうして彼らは挨拶(あいさつ)の時にハグをすることに決めたのだろう?」などと考えてみるのである。これこそ異国に暮らす醍醐味(だいごみ)ではないだろうか。
などと大層なことを言っておいて、もう暫(しばら)くも経たたぬところで、元々(もともと)持ち合わせた(日本では非難の的であり、今となっては少々周りの気持ちもわからないでもない)我が近めの距離感が見事こちらへ溶け込んで、『24時間の情事』の岡田英次よろしく、心の奥底にこれっぽちの恥じらいもなくハグハグ、チュッチュチュッチュしてるのやもしれん、なんてことはまさかないと願うのだが、あくまでこれは願いであって、兎(と)に角(かく)ここまで記した以上、もしそうなってしまった場合は即座に皆様にご報告させて頂きたいのである。
(演出家 長塚圭史/SANKEI EXPRESS)
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■ながつか・けいし 劇作家、演出家、俳優。1975(昭和50)年、東京生まれ。早稲田大学在学中の96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成し、若者から絶大な人気を得る。2005年、「ピローマン」「はたらくおとこ」の演出で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。主な演出作品に「ビューティ・クイーン・オブ・リナーン」(07年)、「sisters」(08年)など。今年6月には、脚本を担当したコクーン歌舞伎「桜姫」現代版が上演予定。現在、文化庁新進芸術家海外留学制度で英国に留学中。
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