“野村色”に染まる巨人
2012/02/14 22:43更新
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僚紙サンケイスポーツ紙面に載った野村克也さん(76)の写真。原監督から贈られた巨人の帽子をかぶり、ご満悦な表情だった。「生涯かぶることはないと思ってた」と。確かに現実には巨人のユニホームを着る夢はかなわなかったが…。
ところが…。1度だけ巨人のユニホームに袖を通すチャンスがあった。
1975年オフ、長嶋茂雄第1次政権の1年目は最下位に沈むと、巨人フロントはコーチ陣のテコ入れのため、ひそかに南海(現ソフトバンク)の選手兼任監督だった野村さんに接触。巨人側で交渉に当たったのは当時球団常務だったロイ佐伯氏、広報担当の張江五氏だった、という。
当時、チーム内の派閥抗争に泣き込まれ野村さんは孤立さえしていた。都内ホテルでの巨人との“密会”で「子供の頃から憧れていた…」。野村さんは選手兼任ヘッドコーチというオファーを快諾した。ところが肝心の長嶋監督がクビを縦に振らなかった。「あの時、野村さんが来ていたら、巨人は変わっていたかもしれない」。交渉の席にいた張江さんの述懐。結局、“巨人・野村克也”は幻に終わったのだった。
時がたち…。相好を崩す野村さんの顔が、いまでも忘れられない。「今度、克則が巨人に入るんや…」と。2003年のオフのこと、息子・克則がトレードで移籍した。たまたま前夜、同席して深夜まで陽気に振る舞う野村さんを見て、自らの夢の1つをかなえた…そんな想いが見えた。
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記事本文の続き 「長嶋や王がひまわりなら、オレは日本海にひっそりと咲く月見草…」京都・網野町(現京丹後市)生まれの男は、90年ヤクルトの監督に就任するや現役時代にもまして“打倒・巨人”を色濃くして戦った。「強いものを倒す。ワシの生きがいや」だったが、野村さんの意識の中にずっと巨人があり、裏返しに“ジャイアンツ愛”があったのではないか…。
野球に対する向上心のすごさ…。現役時代、兼任監督のときから「すべてにおいて川上監督のV9時代(65~73年)は理想…」を基礎に置き、自らが導入したデータを分析する“ID野球”を確立し、「情報を制する者がその世界を制す」で名将の地位を得た。日本球界を変えた男である。
いま…。巨人には橋上秀樹戦略、秦真司1軍バッテリー、田畑一也2軍投手、荒井幸雄同打撃、野村克則同バッテリーと5人の“野村チルドレン”が在籍する。憧れの巨人が“野村王国”に染まっている。かつて描いた野村さんの巨人への郷愁は、YGユニホームを着る以上の何かを手にした気がする…。
(特別記者)
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