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01/15 18:11更新
かつて在外邦人に「日航の鶴のマークは日本そのもの」と言わせしめた日本航空。元社員で作家の安部譲二さん(72)が、“転落”の軌跡について、自身の経験を重ねながら直言した。
「日航での5年間は、ウソばっかりの僕の70年の人生で、唯一信じられる最高に幸せな時間だったよ。かっこいい制服を着て、給料も良くて、海外にも行けて、女にモテて…。でも、そんな僕らの思い出とかプライドとか悔しさとかは一切関係なくてさ、いらない組織は消えてゆくのがいつの時代も宿命。みんなが思っているほどは困らないんだよ」
安部さんは1961年から5年間、日航でパーサーとして働いた。実はその当時から、日航の悪しき体質を敏感に感じていたという。
「当時の日航のスチュワーデスは、いまの女子アナやタレントなんかより、よっぽどきれいで優秀な女性ばっかりでね。でも、何年かに一度、信じられないほど新人のレベルが下がるんだ。それで、人事の同期に『あれは何だ!』って聞いたらさ、その翌年には必ず総選挙があるってわけ。自民党のジジイどもが選挙前に、地元の有力者と関係がある娘どもをこぞってねじ込んでいたんだ。一事が万事、そんなことをやってたからダメになっちゃったんだよ」
安部さんの話は続く。
「当時から社長がもっとしっかりしてほしかったよな。採用はもちろん、赤字路線にしたって自民党の意向に逆らえず、下を見りゃ組合にビビッて何も言えない。ヤクザだってダメ親分の組はいずれつぶれる。日航も一緒。2、3代前の社長のせいじゃなくて、ずっと前からダメになることは決まってたんだよ」
そして安部さんは最後に、極めつけの一言を放った。
「だいたい、いくら当時コンピューターがなかったとはいえ、前科3犯で執行猶予中だったオレを採用した時点で、ボケが始まっていたんだよ。もちろん日航には愛情やいろいろな思い出もあるけど、これは悪夢じゃなくて現実。オレみたいな育ちの悪い人間にはよくあることだけど、育ちが良くてもダメな人間や組織はいつか必ず淘汰されるっていうこと。宿命を受け入れなきゃいけない時がきちゃったんだよ」