“卑弥呼の柱”別の宮殿にリサイクル? 奈良・纒向遺跡
2009/11/11 11:57更新
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奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で見つかった邪馬台国の女王、卑弥呼の宮殿ともいわれる大型建物跡(3世紀前半)は、廃絶に伴って柱だけ抜き取られていたことが11日、市教委の調査で分かった。次の女王・壱与(いよ)の時代(3世紀後半)になると、遺跡の中心は約600メートル東に移ったとされており、新しい宮殿の柱にリサイクルされた可能性もあるという。
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記事本文の続き 大型建物跡では、一辺約1メートルの柱穴が十数本分見つかり、いずれも柱は直径約30センチと推定されている。そのうち数カ所の柱穴では、柱を引き抜くために掘り返された痕跡が確認された。
奈良時代の都・平城京(710~784年)でも宮殿築造の際、直前まで都だった藤原京(694~710年)の宮殿の柱や瓦などを持ち出して使っており、「卑弥呼の宮殿」でも再利用が進められた可能性が浮かび上がった。
纒向遺跡は3世紀後半、今回の発掘現場から東側に中心が移動し、最盛期を迎えたとされている。木樋(もくひ)を組み合わせた導水施設などが見つかったほか、この時期に箸墓(はしはか)古墳(全長280メートル)が築かれたことから、卑弥呼の時代より発展したといい、壱与の宮殿地域との見方もある。
一方、今回の大型建物跡では、土器の出土量が周辺と比べて少なかったことから、宮殿一帯はつねにゴミなどが取り除かれ、清潔に管理された空間だったことも分かった。
調査担当の橋本輝彦・市教委文化財課主査は「今回の大型建物跡は、常に管理された状態で数十年間使われたことが分かる。柱は新しい中枢建物に転用されたかもしれない」と話した。
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