「常に泰然と」雨森芳洲に東アジア外交を学ぶ
2012/01/18 09:54更新
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【from Editor】
今年度の司馬遼太郎賞に決まった辻原登さんの小説「韃靼(だったん)の馬」は、江戸時代の「朝鮮通信使」の史実を土台に、朝鮮外交の窓口となっていた対馬藩の藩士の運命を描いた力作である。
対朝鮮のスパイとしての役目を負わされ、外交の駆け引きの中で死んだことにさせられた主人公の阿比留克人(あびる・かつんど)が、藩との関係を断った後も、窮地に立つ藩を救おうと将軍に献上する伝説の天馬をモンゴル高原に探しに行く。一種の冒険活劇であり、また「義」のために生きた男の物語でもある。
この作品を史実の側から支えているのは、小説中にも脇役として登場する雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)(1668~1755年)の事績だろう。
芳洲は儒学者、木下順庵の門下で、新井白石や室鳩巣(むろ・きゅうそう)と並んで「木門(もくもん)の十哲」に数えられた。白石よりも11歳若いが、木門では白石の先輩で、順庵は「後進の領袖」として芳洲の才能を買っており、対馬藩から学識者を求められた際、22歳の芳洲を推した。
一方の白石は将軍の側近としてさまざまな改革を行ったが、そのひとつに朝鮮通信使に対する慣例の変更があった。朝鮮からの国書に徳川将軍の呼称を「日本国王」とするよう求めたり、接遇の方法を簡素に改めたりと、朝鮮側に厳しいものであった。
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記事本文の続き こうした一方的な要求を朝鮮側に理解してもらい、通信使の来訪が無事に進むよう交渉にあたった関係者の労苦は想像に難くない。小説では克人や芳洲が、白石の政策に翻弄されながらも、国益を損ねないように奮闘する様子がダイナミックに描かれている。
芳洲は著書「交隣提醒(こうりんていせい)」で、「互いに欺かず争わず真実をもって交わる」ことが外交の要諦だとする「誠信の交わり」を説いたことで知られている。その精神は現代も生きているように見える。
しかし芳洲は、こうも言っている。「相手がおごり高ぶった態度に出るとこちらは卑屈になり、相手が卑屈であると侮ってしまいがちだが、相手がいかようであっても、常に泰然としていなければならない」。こちらは少し耳が痛いのではないか。
江戸時代の朝鮮通信使は、豊臣秀吉の命で朝鮮に攻め入った「文禄・慶長の役」後、断絶していた国交を回復させる形で始まった。その状況は現代に通じている。東アジア外交を考えるとき、芳洲に学ぶべきことは多い。辻原さんがこの作品を書いた理由は案外、そのあたりにあるのかもしれない。(大阪文化部長 深堀明彦)
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