野村克也さんのレアものがズラリ! 52年の南海ユニホームに記念ボール、「俺は月見草」のルーツも

 「おかえり!ノムさん 大阪球場(なんばパークス)に。」と題したプロジェクト(実行委員会=サンケイスポーツ、南海電気鉄道など)でクラウドファンディングを行い、今年2月にリニューアルオープンした「南海ホークスメモリアルギャラリー」(大阪市浪速区)。プロ野球南海(現ソフトバンク)の本拠地だった大阪球場跡地の複合商業施設「なんばパークス」にあるこのギャラリーには、戦後初の三冠王に輝き、昨年2月に84歳で亡くなった野村克也さんの遺品が新たに展示品に加わり、多くのファンが訪れている。プロ野球史上に輝く名選手のゆかりの品それぞれの逸話を探ってみると、非常に貴重なものがそろっていることが分かる。

新記録のボール2つ

 展示されている記念のボールは2個。一つは昭和46年9月10日の近鉄戦(大阪)で二塁打を放ち、当時日本記録となる通算4017塁打を達成したときのボール。もう一つは37年9月30日の近鉄戦(藤井寺)ダブルヘッダー第2戦で44号を打ち、シーズン本塁打のパ・リーグ新記録を打ち立てたときのものだ。

 単打なら「1」、本塁打なら「4」が記録される塁打。野村さんのプロ初安打は、20歳だった31年4月9日の近鉄戦(藤井寺)だった。それを振り出しに36歳にして通算塁打のトップに躍り出た。それまでのトップは毎日(現ロッテ)、阪神などで活躍した山内一弘。通算4015塁打で45年に引退していた。

 シーズン44本塁打は25年の別当薫(毎日)の43本塁打を抜いた。36年から43年まで8年連続でパ・リーグの本塁打王のタイトルを獲得するなど、ホームランバッターとしての全盛期を迎えていた。38年は52本塁打を打ち、25年に小鶴誠(松竹)が樹立したプロ野球記録の51本を上回った。

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