16番目の国民の祝日として誕生した「山の日」(8月11日)に向けて、登山・レジャー雑誌で「日本の山」に関する特集が組まれている。しかし、多くが山登りを都会の暮らしの延長線上にとらえ、登山に付随するゴミやトイレ、環境破壊といった問題がおろそかにされている。登山の流行に伴い、ゴミ問題に頭を抱えるのは悪名高き富士山だけではない。山の環境を守る切り札は「入山料」と「入山規制」の2つという考え方がある。この国で入山料が浸透しないのはなぜか。
富士山は「自然遺産」ではない
日本一の単独峰・富士山が世界遺産に指定されたのは2013年のこと。地元や山岳関係者の悲願といわれるほど時間を要したが、当初、目指したのは「自然遺産」としての世界遺産だった。ところが、入山者によるゴミ問題がネックとなり、「文化遺産」で譲歩する形になった。富士山の正しい登録名は「信仰の対象と芸術の源泉」であり、登山者の中には自然遺産と誤解している者もいるようだ。
さきに世界遺産(文化遺産)への登録が決まった国立西洋美術館を含め国内20件のうち、世界自然遺産の登録は屋久島(鹿児島)、白神山地(秋田・青森)、知床(北海道)、小笠原諸島(東京)の4カ所しかない。日本列島が山に覆われているわりに自然遺産は少ない。一般的に世界遺産の登録は来訪者の増加をもたらすが、ゴミ問題とそれまで以上に真剣に向き合わないと景観が損なわれるという別の問題点もある。
環境保全はタダではできない
「清掃登山」を通じて登山者のモラルやマナーについて問題提起する野口健は「入山料」の導入を訴えてきた登山家である。「自然環境を守っていくには人がいる。金がかかる。それは、いまの時代、みんなが理解しはじめていると思う。『入山料を取るなら行かないよ』という人は、来なくていいと思う」(『富士山を汚すのは誰か』角川oneテーマ21)と苦言を呈する。
入山料は入山規制につながる。入山客が少なければ、山の生態系が壊されるリスクは少なく、環境への負荷も軽減されるだろう。富士山と姉妹提携を結ぶ米ワシントン州レーニア山(標高4392メートル)の場合、国立公園の入園料として車1台当たり15ドルを課す。園内では多くのレンジャーが目を見張り、ゴミ一つ落ちていない。野口によれば「いくら『ゴミ捨てをやめましょう』という看板が立っていても、あまり意味がない」と指摘、「人間がいて声をかける、人から人へメッセージをつないでいくのが一番効き目がある」と強調する。山の問題を解決するのに性善説はもはや通用しない。
日本人の心の貧しさ
入山料の徴収は山の環境を守るため通行手形と考えればいい。しかし、日本では「登山はタダ」という考え方が大方を占め、入山料が登山家らの間に浸透しないのだ。月刊誌「山と渓谷」(8月号)によると、富士山でも2013年に入山料が導入されたが、3年目の15年に協力率は50%を割り込んだ。08年から導入された屋久島(鹿児島)の保全募金(協力金)は30~40%にとどまる。「日本百名山」の一つ、伊吹山(滋賀県、岐阜県)でも14年から導入されたが、翌15年は協力者が激減したという。
同誌のアンケートでは、8割近くが入山料に賛成で、反対はわずかに7%。つまり、山の環境を守ると頭で理解していても、いざ行動に移すとなると二の足を踏むという残念な結果ということになる。
「山はディズニーランドではない」と著名な登山家が嘆いていた。都会の生活を山に持ち込まない、自分で出したゴミは全部持ち帰る「テークイン・テークアウト」の鉄則を守る-。最初の「山の日」を迎えるにあたって、すべてのクライマーが山の大原則を守るだけでも日本の登山文化は成熟し、同情の余地のない遭難事故は減少するのではないか。
