「高倉健」を“シカト”した「ジャイアント馬場」の素顔とは:イザ!

2014.12.13 12:09

「高倉健」を“シカト”した「ジャイアント馬場」の素顔とは

 ■米国での爆発的「馬場人気」

 24歳で渡米。修行の身の馬場は口ひげをたくわえ、さながら悪役のようなたたずまいだったが、米国では「野球出身のファイター」として高い評価を受けた。しかも「日本人は小さい」という先入観を打破し、自分の立ち位置を確保した。

 日本に帰国後、馬場と5歳下の猪木のライバル関係は深まり、険悪なムードは日増しに増幅されていった。猪木の度重なる“挑戦状”を馬場は黙殺し、相手にしなかった。「40年戦争」というほど両者の溝は深かった。しかし、異常な緊張感が当時のプロレスブームを支えたのも事実である。

 両雄は力道山とともに、戦後のプロレス界に一時代を築いたが、「どちらが強かったのか」を問うのは愚問といえるだろう。馬場vs猪木戦は、いわゆる前座時代に何度も組まれており、馬場の全勝に終わっている。いずれも猪木のモットーである「リアルファイト」には程遠く、「ブック」(筋書き、台本)だったというのが大方の見方である。それだけに、猪木は雪辱を果たそうと馬場を挑発したのである。

 ■「水戸黄門」との共通項

 ところで、馬場の「水戸黄門」好きは一部のコアなファンの間で有名だ。先日、亡くなった高倉健とのエピソードはある種、ユーモアに包まれている。羽田空港で馬場を見かけた健さんが「馬場さん、今日はどちらへ?」と声をかけると、馬場は相手がだれであるのか分からず、「俳優? 水戸黄門には出てねえだろ」と付き人に悠然と答えたという。“予定調和”ともいえる筋書きの「水戸黄門」と、馬場が長年かけて培ったショーとしてのプロレスには共通項が少なくない。

 晩年、「格闘技」に押され始めたプロレス人気低迷について問われた馬場は「プロレスにはすべてがある」と反論した。寸鉄人を殺す-。脳天チョップを炸裂したような切れ味鋭いセリフは、いかにも馬場らしかった。