【再び、拉致を追う】北の欺瞞(上)墓穴 「死亡の証拠」嘘並べ…:イザ!

2012.9.17 01:15

【再び、拉致を追う】北の欺瞞(上)墓穴 「死亡の証拠」嘘並べ…

 日比谷公会堂(東京)で今月2日に開かれた拉致被害者の早期救出を求める国民大集会の冒頭、壇上のスクリーンに10年前の映像が映し出された。東京・麻布台の外務省飯倉公館で平成14年9月17日、拉致被害者の安否について報告を受けた家族がその後、記者会見した様子だった。

 映像を見ながら、拉致被害者、有本恵子さん=拉致当時(23)=の母、嘉代子さん(86)はあの日のことを思い出した。同年10月2日。拉致被害者の安否に関する調査のため、平壌を訪問していた日本政府調査団の調査結果がその日、家族に届けられた。「死亡」とされた8人の拉致された状況やその後の生活について、北朝鮮側の説明が記されていた。

 「あれで死んだというのは嘘やと思ったんです」。嘉代子さんはそう振り返る。8人のほとんどが事故死や突然死とされ、不自然さが感じられたからだ。

 恵子さんは、北朝鮮で結婚した石岡亨(とおる)さん=同(22)=と2人の間にできた娘とともに昭和63年11月4日、石炭ガス中毒で死亡したとされていた。だが、札幌出身の石岡さんは実家で石炭ストーブを使っており、取り扱い方を熟知していた。

 他の被害者に関する説明も信じ難かった。54年9月4日に海水浴場に出かけ、水死したとされる市川修一さん=同(23)=は日本にいたとき、泳げなかった。「海に遊びに行くこと自体、不自然」と日本の家族は話す。一緒に拉致された増元るみ子さん=同(24)=は56年8月17日に心臓病で亡くなったとされていたが、当時は27歳という若さ。小さいころから健康に問題はなかった。

 ◆同じ病院から発行

 「死亡」の“証拠”とされた「死亡確認書」は、北朝鮮に対する家族の不信感を決定づけた。横田めぐみさん=同(13)=を除く7人の死亡確認書はすべて同じ病院から発行されていた。有本さんと石岡さんが死亡した場所とされていたのは、中国との国境近くの慈江(チャガン)道南部の煕川(ヒチョン)市。市川さんが死亡したとされたのは北朝鮮南部の元山(ウォンサン)市。他の被害者が死亡したとされる場所や時期もばらばらだった。

 それなのに、7人の確認書を作成したのは平壌の「第695病院」。被害者の生年月日を間違えているものもあった。石岡さん、原敕晁(ただあき)さん=同(43)、松木薫さん=同(26)=の確認書を透かしてみると、まったく同じ位置に印鑑が押されていた。原さんは61年、松木さんは平成8年に死亡したとされている。違う時期に作成されたはずの確認書で寸分違わぬ位置に印鑑が押されているのも明らかにおかしい。

 14年の政府調査団の団長だった斎木昭隆・外務省アジア大洋州局参事官(当時)から聞いた話として、拉致被害者と家族の支援組織「救う会」の西岡力会長はこう説明する。

 「めぐみさんを除く7人について口頭でしか説明がなく、調査最終日に斎木さんが『こんな状況で帰れるか!』と机をたたくと、2時間後に持ってきたのが死亡確認書だった」

 ◆事故記録名前なし

 「慌てて作ったもので、正確ではなかった」。北朝鮮側は16年11月の日朝実務者協議で死亡確認書について、そう釈明したにもかかわらず、その協議で北朝鮮側が改めて示してきた証拠はまたしても、いいかげんなものだった。自動車事故で死亡したとされた松木さんと田口八重子さん=同(22)=の交通事故記録は、複数の箇所が塗りつぶされ、死亡者の名前が記されていなかった。

 でたらめな書類に加え、死亡を裏付ける遺骨も存在していないことは何より、北朝鮮側が嘘をついていることを示している。

 被害者本人の「遺骨」として出してきためぐみさんと松木さんについては、骨格鑑定やDNA型鑑定の結果、別人のものと判明した。他の6人の「遺骨」についての北朝鮮側の説明は「豪雨でダムの堤防が壊れ、墓が流された」「大洪水による土砂崩れで流失」というものだった。

 こうした不誠実な対応は被害者家族を傷つけたが、逆に被害者の生存を家族に確信させた。北朝鮮側は墓穴を掘った。

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 北朝鮮の欺瞞(ぎまん)性を改めて検証するとともに、振り回され続けた家族の10年を追った。