「参謀本部」と「関東軍」の対立…国際政治の流れを読みきれなかった日本

【ノモンハン敗戦の真実】

 ノモンハン事件(1939年)を戦ったのは関東軍である。「泣く子も黙る関東軍」といわれ、優秀な将校が集まっていたのに、なぜ負けたのか、ということになる。陸軍は明治以来、ソ連を仮想敵国として研究を重ね、ソ連と戦う訓練だけを続けてきたにもかかわらず負けた。

 よくいわれるのは、「東京の参謀本部と、満洲の関東軍が対立したから」ということだ。

 参謀本部で実権を握っていたのは作戦課長の稲田正純大佐であった。陸軍大学校を「恩賜の軍刀」(=天皇陛下から、陸海軍学校で成績優秀な卒業生に授与された軍刀剣類のこと)で卒業、よくしゃべり、阿部信行総理の女婿、という人物である。

 一方、関東軍でも1人の将校が強い影響力を持っていた。作戦課員の辻政信少佐である。いまでも辻少佐の『潜行三千里』は読まれているが、こちらも恩賜の軍刀のうえ、頑健な肉体を持ち、敵弾を恐れない、という人物である。

 2人とも、優秀な人物だけに、日本の置かれていた立場をよく理解していた。2年前に始まった支那事変の解決を何より優先し、他国との摩擦は何がなんでも避けなければならない。ソ連は支那事変を戦っている日本を消耗させようと、いろいろ仕掛けてくるので、うまく対処しなければならない。そこまでの認識はまったく同じである。

 しかし、置かれていた立場は違っており、そのため対応に違いが出てくる。

 稲田大佐は、ソ連が出てきたら地上部隊で応戦するが、その兵力で負けたら諦めて退く、と考える。辻少佐は、どこまでも毅然(きぜん)と対応し、それが危惧されているソ連との全面戦争も避けさせる、ととらえる。

 任務に忠実にならんとすればそう考え、忠実になればなるほど違いが出てくる。サラリーマンの世界で日常起きていることと、まったく同じである。やがて2人は激しく対立し、連絡すらまともに行われないほど参謀本部と関東軍の関係は悪化した。

 私はノモンハン事件から80年目にあたり、『史料が語る ノモンハン敗戦の真実』(勉誠出版)をまとめ、それぞれの立場を書いた。読者にはこの本を手に取って、それぞれの立場に立って読んでもらいたい。読者ならどう行動するか。

 参謀本部と関東軍が対立していたとき、参謀本部は「ドイツとの軍事同盟」という問題に割かれていた。

 支那事変を解決するため、日本はドイツと手を結びたい。一方、ドイツも英国とフランスと対立し始めていたため日本と手を組みたがっていた。その交渉が行われている間にノモンハンの戦いが始まり、その最中、ドイツはソ連と不可侵条約を結んでしまう。日本の返事を待ちきれなかったのである。

 独ソ不可侵条約には世界中が驚いたから、日本だけとはいえないものの、日本が国際政治の流れを読みきれなかったことは確かだ。うまく対応すれば、ノモンハンは別の形になっていたかもしれない。

 ■阿羅健一(あら・けんいち) 評論家・近現代史研究家。1944年、仙台生まれ。東北大学卒業後、会社員を経て、82年の教科書誤報事件をきっかけに南京事件などの調査・執筆を始める。現在、南京戦の真実を追究する会会長。著書・共著に『謎解き「南京事件」』(PHP研究所)、『吉田茂という反省』(自由社)、『史料が語るノモンハン敗戦の真実』(勉誠出版)など。

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