【白洲信哉 旅と美】日本文化創った春の風物詩(石割桜)

 「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」。平安貴族は「花見」を創出し、「朝桜、夕桜、夜桜、月夜桜、花曇り…」、艶っぽい言葉を生み、屏風(びょうぶ)に、漆芸などの題材となり、「花見」が習慣までに昇華する。桜がなかったら日本の文化はどうなっていただろうか。西行は吉野へ通わなかっただろうし、無常やはかなさ、なんて言葉も生まれなかったかもしれないが、わが家もご多分に漏れず「桜狂い」の家系のようだ。

 祖父の小林秀雄は、梅が散ると、原稿も手につかず、60を過ぎた頃から毎年桜見物に出かけていった。昨今のように居ながらにして開花状況が把握できないので、同じ場所に何度も足を運ぶこともあった。この石割桜もその一つで、僕が中学の頃だったか、「今年は2分咲きで駄目だったから、来年こそは」と言って、翌年再訪し、日に7度見て満喫したという。僕は情報を仕入れ、雨模様ではあったが、ピタリ老木の散り際に間に合った。が、便利というのは不幸なことなのかもしれないとちょっぴり思った。

【プロフィル】白洲信哉

 しらす・しんや 文筆家。昭和40年生まれ、東京都出身。日本文化の普及に努め、展覧会など文化イベントの制作にも携わる。

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