戦艦長門の軍艦旗 山本五十六の故郷に帰る 新潟

 連合艦隊司令長官、山本五十六の故郷・長岡市に同艦隊の旗艦だった戦艦「長門」の軍艦旗が6日、米国から寄贈され、約70年ぶりに日本に戻ってきた。長岡は終戦間近に米軍の空襲で多数の犠牲者を出した歴史がある。磯田達伸市長は「世界に平和を発信したい」と述べ、日米の絆を強める象徴として軍艦旗を役立てたいとの考えを強調した。

 同市呉服町の山本五十六記念館で行われた寄贈の式典には、米戦艦ミズーリ記念館保存協会(ハワイ州ホノルル市)のマイケル・カー会長と磯田市長、山本元帥景仰会の理事長で同記念館の館長を務める丸山智氏らが出席した。

 カー会長は「(軍艦旗の)安息の地はミズーリ記念館ではないと感じていた。本来あるべき故郷にお返しし、平和の伝統を末永く継承する」とあいさつ。折りたたまれた軍艦旗を丸山氏に手渡した。丸山氏は「青少年の平和教育に役立つように展示で紹介したい」と述べた。

 長門は世界有数の戦艦として建造され、昭和16年の真珠湾攻撃の際は山本長官が乗艦した。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などで活躍したものの、終戦後に米軍に接収され、21年に米国の核実験の標的としてビキニ環礁に沈められた。軍艦旗は終戦直後、長門が接収された際に米戦艦「サウス・ダコタ」所属の海軍少尉が持ち出し、自宅で保管。少尉は亡くなる間際、ふさわしい場所に寄贈したいと考えたという。

 日本に戻ってきた軍艦旗には油とすすの匂いが染みつき、大海原の上でのかつての活躍を如実に物語っていた。同記念館学芸員のマイケル・ワイデンバック氏は「旗には戻って来なかった全ての船と、乗っていた兵士たちのスピリット(精神)が込められている」と語った。長門は今もビキニ環礁の海底で眠っている。

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