国宝・松江城「天守雛形」の謎…国内最古説も製作年不明、現天守と異なる細部

 国宝松江城天守の柱や梁(はり)などの内部構造を精巧に再現している模型「松江城天守雛形(ひながた)」。天守の歴史を知るための貴重な資料だとして松江市指定文化財となっているが、江戸時代・寛永期の作とされてきた従来の見解が近年揺らぐなど、謎の部分も多い。このため、市松江城調査研究室は今年度以降、模型の本格調査に乗り出す考えだ。

完成後30年で改修?

 天守の模型は、大規模改修などに先立って製作されるケースが多い。松江城天守雛型の場合は、1638(寛永15)年に松江藩主となった松平直政に従って国入りしたお抱え大工頭が、「天守が1メートル程度傾いている」と直政に申し出て、修理を命じられた際に作ったとされている。

 この根拠となったのが、幕末に家臣が記した「藩租御事蹟(ごじせき)」という書物の記述とされる。「これが本当なら、1611(慶長16)年の天守完成からわずか30年ほどで、大改修の必要に迫られたことになる」と松江城調査研究室。

 だが、寛永期に天守が改修された史実は見当たらない。修理記録や部材の墨書などから確認できるのは、1676(延宝4)年に行われた天守付櫓(つけやぐら)の装飾「懸魚鰭(げぎょひれ)」の修復。その後の1700年代以降は天守がたびたび改修されたようだ。

謎多く含む天守雛型

 「雛型には、付櫓石垣の裏側部分に墨書があり、大工の人数などが記されている」と、市の松江城調査研究委員を務める和田嘉宥・国立米子高専名誉教授(建築史)が説明する。「ただし、年代を特定する記述はなく、書かれた人数も、改修に携わった者にしては少なく、模型製作に当たった数とすれば多すぎ、よく分からない」

アクセスランキング

もっと見る

ピックアップ