将棋棋士志した息子の生きた証 宝塚市に震災の追悼碑

 阪神大震災で118人が亡くなった兵庫県宝塚市で、犠牲者の名前を刻む「追悼の碑」が建立される。平成26年に設置計画を立てたがその後進まず、遺族が待ち望んだ6年越しの実現。将棋棋士への道半ばで17歳で命を絶たれた息子が生きた証しを残し、家族の元から離れて暮らした宝塚を第二の故郷に、と願う母の思いが計画を後押しした。(木ノ下めぐみ)

 「息子の口癖は『いつもお母さん僕のためにありがとう』だった。あの子のためにしてあげられることが名を刻むことだと思った」

 震災で次男の隆文さん=当時(17)=を亡くした船越明美さん(72)=福岡県=はこう話す。

 宝塚市は6年前、犠牲者の遺族に意向を聞き、碑の計画に乗りだした。賛同した市民から寄付が集まるものの、意見がまとまらず計画は頓挫しそうになったところ昨年2月、中川智子市長に宛てに手紙が届いた。

 この手紙を送ったのが船越さんだった。

 隆文さんはプロ棋士の養成機関の関西奨励会(大阪市)に入会し、親元を離れ師匠の森信雄七段(67)=平成29年に引退=が暮らす宝塚市に身を寄せていたが、住んでいたアパートが倒壊し、亡くなった。

 この直前、隆文さんは対局で勝ち始めたころだった。「本人も手応えを感じ始めていた矢先。見守り続ければ堅実な手を指す良い棋士になると思った」(森さん)

 隆文さんの死後、夢に向かって濃密な時を過ごした息子の思い出の地を何度も訪れた。森さんの門下生の活躍を聞けば、「皆と一緒にあの子も頑張っているような気がして、将棋の中に生き続ける隆文さんに会えるような気がした」。

 そんな中、隆文さんが暮らしたアパートの跡地に、新たな住宅の建設が決まった。「今後どこに手を合わせればいいのか」。思い悩んだ末、市長へ宛てて筆を執ったことが、新たな鎮魂の場につながった。

 同市郊外の「ゆずり葉緑地」には、すでに震災の犠牲者を悼む慰霊碑が建てられている。今回の追悼の碑はこの隣に設置され、遺族が希望した72人の犠牲者の名が刻まれる。

 震災から25年となる17日に行われる除幕式には船越さんと、森さんも参加する予定。映画『聖(さとし)の青春』で知られ、夭折(ようせつ)した村山聖九段ら大勢の弟子を持つ森さんは、隆文さんについて「棋士は日々の積み重ねが物を言う世界。派手さはなくとも、やり抜く素質を持っていた。生きていたら頼もしい棋士になっただろう」と語る。

 船越さんは市長への手紙にこう思いをつづっていた。「これからも将棋の道をこの宝塚で歩ませてあげたい。(中略)宝塚が隆文にとって将棋のふるさとになりますように」。

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