藤村俊二さん死去 長男・亜実さん「苦痛とか不安にとらわれずに生きられた人」

 飄々(ひょうひょう)としたキャラクターで「オヒョイさん」と親しまれ、晩年は「日本一ダンディーなおじいさん」と呼ばれたタレントの藤村俊二(ふじむら・しゅんじ)さんが1月25日、心不全のため入院先の病院で死去した。82歳だった。所属事務所が1日、発表した。

 この日、藤村俊二さんの長男の藤村亜実さんが東京都内で会見を行った。

 --体調不良を訴えたのは2015年10月

 「私が食事の用意をして、できたので父の部屋に呼びに行っても出てこなかったので、おかしいと思って部屋に入ったら、寝室でぐったりしていました」

 --2013年12月に藤村さんは離婚

 「おやじから報告を受けました。理由については特に聞いていません。生前、発表しなかったのは父の意思を尊重したためです。離婚後は私と2人暮らしで、連絡は取っていません」

 --入院中の様子は

 「歩いたり、体を動かすことに問題はありませんでしたが、ものを食べるリハビリをしました」

 --会話ができたのは

 「去年の秋口くらいまでです」

 --最後の言葉は

 「私から『おやじでいてくれてありがとう。息子で幸せでした』と伝えたら『俺もだ』と…」

 --父親としての藤村俊二さんは

 「なぜあれほど自由で楽しく、優しくいられるのかなと不思議に思っていました。入院中も苦しいとか言わず、いつも穏やかな雰囲気で…。我慢している様子もないんです」

 --それはなぜ?

 「苦痛とか不安にとらわれずに生きられた人だと思います。瞬間瞬間を生きられる人というか」

 --怒られたことは?

 「ないです。ただ、小~中学生のときに『自宅で勉強するな。勉強は学校でするもの』と言われました(笑)」

 --オヒョイさんの由来について

 「昔、父が日劇の新人だったころ、エキストラをやっていたんですが、『エキストラがひとりぐらいいなくなっても大丈夫だろう』と言って帰ったそうです。それで『オヒョイ』になったと」

 --昭和九年会のメンバーが亡くなったときは

 「『悲しい』とか言わない人なので、家族にも言いませんでした。ただ、昭和九年会は父が作ったので思い入れはあると思います」

 --棺に入れた物は

 「お気に入りのグレーのスーツと、好きな色であるピンクのシャツとポーチを入れました。ひげもきれいにそろえました」

 --生前、年金を貯金していたと聞いたが

 「そうです。『死んだら貯金』だったと思います」

--会葬礼状には藤村さんの言葉を印刷した

 「自宅には父の残した20~30枚のメモが残っていて、『しおどき』と題されたメモにしました」

 --ワインバーについて

 「ワインを楽しむと言うより、自分の家のつもりで作ったと聞いています。父にとっては一番落ち着く空間でした」 

 --閉店したときは

 「『15年は続けたい』と言っていたのですが、14年目で閉店したので、残念だったと思います。閉店は前の奥さんと相談して決めました。体調の問題もあったと思います」

 --病院でのエピソードは

 「30代の女性がお見舞いに来たのですが、そしたら髪をそろえて、ものすごいうれしそうな笑顔をしていました」

 --入院中のお見舞いは

 「有名な方では黒沢久雄さんが来てくれました。献花の会の会場も、黒沢さんの紹介です」

 --父・俊二さんの美学とは

 「つかみどころがないというか、過去に対する後悔とか、将来に対する不安にとらわれず、その瞬間を生きる…ということだと思います」

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