日本のピザ市場のアマテラス 宅配にも縁、弟がドミノ・ピザを日本展開 デルソーレ・大河原愛子会長
【トップ直撃】
日本でほとんどピザが知られていない時代から、あの手この手での策で市場を広げ、普及に大きく貢献してきた。女性起業家の草分けとして半世紀以上にわたり経営の一線に立ち、ブランド名と社名の由来である「太陽」のように日本の経済界を照らしている。(中田達也)
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--社名をブランド名と統一しました
「デルソーレ(DEL SOLE)は太陽の恵みを意味する言葉で、素晴らしい太陽の下で育ったものを扱いましょうという考えです」
--日本でのピザのパイオニアとして知られています
「火付け役はうちでしたが、こんなに売れるようになるとは思いませんでした。いま日本のピザのマーケットは約2800億円の規模になりました。うちではピザのほか、フォカッチャ、ピタパンやナンなど世界のおいしいパンを扱っています。コンビニさんにも、うちのトルティーヤが入っています」
--日本でピザの事業を始めたきっかけは
「創業したのが1964年、東京オリンピックの年でした。日本でペプシコーラの会社を経営していた父のところに、アメリカのピザの会社の役員が合弁を持ち掛けてきたんです。私はスイスの大学を卒業して帰って来て、父に経営をやってみたらと言われたのが66年でした」
--当初は苦労を
「当時日本人はチーズを食べ慣れていなかったので難しかったですね。東京でピザを食べられたのは六本木のニコラスというイタリアンレストランぐらいでした」
--どんな方法でピザを浸透させましたか
「試食販売です。夏は海辺で、デパートやお祭りの会場、富士スピードウェイでもやりましたね。スーパーでの価格は7インチの冷凍チーズピザが125円、サラミピザが170円と当時としては高級でした。そこで、バーやキャバレーに売り込み、ホステスさんの間ではやりだしました」