「初の超高層」霞が関ビル50年 「人間らしさ回復」今もDNA受け継ぐ

 日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」が東京・霞が関の空に姿を現してから今年で50年になる。それまでの国内の制限高(31メートル)から脱却して建設されたビル第1号で、昭和43年当時で日本最高の147メートルを誇った。その後、経済成長とともに超高層ビルが林立して東京の風景は様変わりしたが、存在感を示し続けている。(市岡豊大)

 「建設のコンセプトは『大都市における人間性の回復』でした。何だか哲学的ですが」。施工主の三井不動産、大益佑介さん(35)は説明する。

 霞が関ビル以前の高層ビルは高さの制約をカバーするため、敷地の隅まで使って設計されており、空間や緑が少ない息苦しいつくりになっていた。これに対し、霞が関ビルは敷地面積の7割を広場とし、部外者でも敷地内に自由に入れる「公開空地」の考え方を初めて導入。当時は画期的なことだった。

 同様に霞が関ビルが先駆けとなり、現在は当たり前になっていることは多い。オフィスと商業施設が融合したビルのスタイルもその一つだ。完成時は建物内に病院、郵便局なども入り、さまざまな街の機能を混在させる「ミクストユース」の概念も生まれた。

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