元銀行マンと新聞記者が振り返る「イトマン事件」…全容は解明されず、今も残る「バブル恐怖症」

 田村 米国ではよくバブルの定義について議論されていた。FRBのグリーンスパン議長(当時)は講演で「根拠なき熱狂」と表現した。聞いた話では、グリーンスパン議長が優秀なスタッフにバブルの定義を決めるように指示した結果、「バブルが起きているときにバブルと定義できない。潰れて初めてバブルと呼べる」という結論が出たそうだ。

 資本主義社会では、金融資産の取引によってどんどん価値が膨れていく。これが米国経済の原動力になった。米国では、たとえば住宅バブルが潰れそうになるときに、いかにその影響を最小限に抑えるかを考える。一方、日本では、地価の上昇が問題視された。橋本龍太郎蔵相(当時)をはじめ多くの政治家は、中間層がマイホームを買えなくなることを不平等だと考えた。

 大塚 大蔵省が2年に不動産融資の総量規制をしなかったらバブルは崩壊せず、イトマンも生き残ったかもしれない。商社は総量規制の対象外だったため、普通の銀行にはできない借り入れの申し込みがイトマンに集中した。でも、結局は「平成の鬼平」と呼ばれた日銀の三重野康総裁(当時)による猛烈な金融引き締めとの相乗効果で追い詰められた。

 国重 バブルのころの三重野さんの精神性はすごくよかった。でも、崩壊後にある飲み会で、金融は緩めるべきだと申し上げたが、意に介さなかった。今の日本人はあまりに慎重になっているが、もっと気楽にやったほうがいいと思う。今は銀行を含めて挑戦することを怖がっている。

 イトマン事件後の日本橋支店長時代、あるベンチャー企業に無担保・無保証で4億円を支店長権限で融資した。恐らく現在の日本橋支店長では5千万円ぐらいまでしか許容されないのではないか。すべての案件は本部に審査を申請しないといけない。金融庁の締め付けが厳しくなった。

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