元銀行マンと新聞記者が振り返る「イトマン事件」…全容は解明されず、今も残る「バブル恐怖症」

 --磯田さんと事件発覚前に頭取だった小松康さんとの間で軋轢(あつれき)があったと聞く

 国重 軋轢はあった。2カ月後に小松頭取2期目の任期が満了する昭和62年10月、磯田さんは突然小松さんを解任し、巽外夫副頭取(当時)を頭取にした。内部対立があった。

 大塚 小松さんはそれなりに磯田会長(の拡大路線)に対抗しようとしていたのではないか。解任されたので結局、みんな磯田さんしか見なくなった。

 --磯田さんは、イトマンが問題化することは分かっていた

 大塚 私は平成2年2月から本格的に取材を始めた。夏前の経団連の暑気払いのパーティーだったと思うが、磯田さんは既に憔悴(しょうすい)し始めており、「あまりいじめないで」と言われた。

 《磯田会長はイトマンの不穏な動きを懸念しながらも対処できず、むしろイトマンを経由して伊藤寿永光氏への不正融資に手を染めた》

 --なぜ、磯田会長ほどの名バンカーが裏社会につけ込まれたのか

 国重 磯田さんの娘が(イトマンとの)不明朗な絵画取引に加わっていたことが明らかになったからだ。

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