【正論】蛮行は日本の生き様への挑戦だ:イザ!

2015.1.26 05:02

【正論】蛮行は日本の生き様への挑戦だ

 □キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・宮家邦彦

 イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人人質事件で、湯川遥菜(はるな)さんとされる男性の写った写真がネット上に投稿された。殺害が事実とすれば、罪のない日本の同胞への無慈悲な行為はおよそイスラムの名に値しない、許し難き蛮行だ。

 ≪反テロへの連帯と団結を≫

 そもそも今回の犯行は中東のスタンダードに照らしても異常だった。日本を「十字軍」に含めたり、巨額の身代金を期限付きで要求するごときは、ロジックを欠いた「言いがかり」に過ぎない。

 これまで日本は中東地域の平和と民生安定のため、非軍事的手段を通じて、一貫して国造りへの協力と人道支援を続けてきた。

 今回の事件は人質の2人だけでなく、日本人全体、ひいては戦後70年間に生まれ変わった日本という民主国家の生き様そのものに対する挑戦ともいえるだろう。されば、今われわれに必要なことは犠牲となった同胞への連帯と、テロに強く反対する国民全体の団結を示すことである。

 残念ながら、日本国内では当初から国論が割れた。一部識者は安倍晋三首相の中東訪問と演説内容に問題あり、などと声高に批判した。しかし、冷静に考えてほしい。「イスラム国」は国家ではなく、宗教を隠れみのにした「ならず者」集団に過ぎない。

 彼らは昨年来、世界の主要国に対する数々の犯罪を計画・実行してきた。日本人人質奪取もその一環に過ぎない。

 であれば、日本の首相が誰であろうと、またどこで何を語ろうと、今回の事件はいずれ実行されたということである。

 この関連で筆者が驚愕(きょうがく)したのは事件翌日のある有力紙の見出しだ。「敵視された日本の中東支援」「『イスラム国』身代金で解放の例も」というヘッドラインに筆者は強い違和感を覚える。

 「イスラム国」とは自ら以外を「すべて敵視する」特異な政治軍事的宗教活動だ。それにもかかわらず、見出しで日本の支援だけが敵視されたかの如(ごと)く示唆したり、身代金による人質解放の可能性を暗示することは、意図的ではないにせよ、一種の利敵行為と言わざるを得ない。

 ≪憎しみと怨念のグローバル化≫

 一方、これとは正反対の極論も散見された。11年前にイラクで起きた日本人人質事件の際に燃え上がった、いわゆる「自己責任論」だ。

 しかし、現在の国際テロ情勢は当時とは様変わりしている。今や無差別殺人を繰り返す宗教テロはグローバル化しており、中東だけのものではなくなりつつある。

 その意味でも、今回の人質事件は日本にとって「9・11事件」だ。残念ながら、一部中東諸国政府の統治の正統性は急速に失われつつある。情報化の進展により中東で生まれた憎しみや怨念がグローバル化し、世界各地のイスラム教徒が、リアルタイムで共有・増幅しつつある。そうなれば、日本やその周辺地域も聖域ではなくなるだろう。

 既に影響は中国に及んでいる。1月7日のフランスの週刊紙襲撃テロ事件直後の10日、中国政府は、新疆ウイグル自治区のウルムチ市内の公の場でブルカの着用を禁止した。中国は欧州での事件に便乗して、国内ウイグル人に対する弾圧を強めているのだ。

 これに対し、ウイグル人はキルギスなどを経由してシリアに向かう。「イスラム国」に参加して戦うためだ。宗教的情熱を持った、ひ弱なウイグルの若者が筋金入りのテロリストに変身する。中国にとっては空恐ろしい事態だ。ソ連がアフガニスタンに軍事介入した際に起きた現象に似ている。

 ≪事件から汲み取るポイント≫

 こうした事態は日本にとって対岸の火事ではない。今、日本人が考えるべきことは、この事件を政争の具とするのではなく、事件から正しい教訓を汲(く)み取り、さらなる人質事件発生を未然に防ぐためにも、長年の懸案であった“宿題”を処理することではないか。

 いくつか重要なポイントを挙げよう。第1は、先に述べたテロのグローバル化現象を踏まえ、日本内外の日本人・日本企業の安全確保について今一度再点検することだろう。今回の事件はシリア国内で起きたが、将来、これが東南アジアや日本国内で起きないとはもはや言えなくなったからだ。

 第2は、国際レベルの情報分析能力を備えた対外情報機関を、既存の官僚組織の枠の外に、早急に設置することだ。現在の外務・警察の官僚的発想だけでは、国際的に通用するインテリジェンス・サービスなど到底作れないと思う。

 第3は、国家安全保障会議(NSC)と危機管理の分業体制を改めて構築することではないか。今回のように邦人保護・危機管理と、国家安全保障が幾層にも交錯する事件こそ、オペレーションと政策立案実施を分けて立体的に実務を処理すべきだからだ。

 冒頭に述べたとおり、今回の事件は戦後70年間の日本人と日本国家の生き様に対する挑戦だ。悲劇を風化させてはならない。(みやけ くにひこ)